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アラフォーのゲイが、台湾BLドラマにハマった!
ぜひ見てもらいたいドラマをご紹介します。面白そう!と思ってもらえたら、ぜひいいね!していただけると励みになります。また、コメントで感想を共有したいのでよろしければぜひ。

今日は台湾BLドラマから少し外れたあれやこれやの話を。

「暗殺教室」って漫画をご存じでしょうか?

週刊少年ジャンプで2012年~2016年まで連載されていた人気漫画です。

アニメ版、実写映画版も制作され、連載終了10周年を記念し、来年3月に新作映画も予定されています。

 

私、この漫画好きなんです。

昔は単行本全巻持っていました。表紙がカラフルなんですよ。本棚に飾っていてもオシャレでした。

現在、FODで見放題作品になっており、毎晩楽しく見ています。

 

 

あらすじ

知っている人も多いかと思いますが、念のためあらすじを笑

 

ある日突然、進学校「椚ヶ丘(くぬぎがおか)中学校」の成績・素行不良者を集めた3年E組の元に防衛省の人間と、異形な姿をした謎の生物がやって来た。マッハ20で空を飛び、月の7割を破壊して常時三日月の状態にしてしまった危険な生物は「来年3月までに自分を殺せなければ地球を破壊する」ことを宣言したうえ、「椚ヶ丘中学校3年E組」の担任教師となることを希望した。

 

政府は戸惑いつつも、3年E組の生徒に「謎の生物の暗殺」を依頼。生徒たちは最初こそ戸惑うが、「成功報酬:100億円」のために殺る気を出す。生徒たちはその生物=殺せんせー(ころせんせー)を様々な手段で暗殺しようと試みるが、毎回殺せんせーの素早さと予測不能の行動で阻止され、逆に殺せんせーによる手入れを受けることになってしまう。

多くの生徒たちは殺せんせーの指導と手入れによってこの暗殺教室を楽しみ、今までの「学校中から差別された底辺学級」としてではない前向きな学校生活を送るようになっていく。

(wikipediaより・一部編集)

 

 

 

 

「暗殺教室」のクライマックス

「暗殺教室」のクライマックスは、「3年E組の生徒は殺せんせーを殺せるのか?」

 

書いてみるととんでもないですが、殺せんせーを暗殺しなければ地球が滅びてしまうのです。

そのために様々な刃を磨き、暗殺者として多くの秀でた能力者を輩出してきた3-E。

彼らは殺せんせーにより人生を切り開いてもらったのですが、それゆえ殺せんせーを殺すことに躊躇する者彼の教えをまっとうするために殺せんせーを暗殺しようと努める者など、後半は中学3年生の生徒の心の揺れ動きが読者をひきつけました。

見ていない人のため、ここではクライマックスのネタバレは避けます。

しかし、3-Eと殺せんせーの心情を思い、私はクライマックスシーンではとめどなく涙があふれてきました。

 

今思えば台湾BLドラマの「ある作品」と同じくらい泣いた気がします。

 

 

 

ある本の一節から

話は変わりますが、ここ最近とある本の一節を読み、深く共感しました。

少し紹介したいと思います。

タイトルは「『推し』の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か」(久保(川合)南海子 著)です。

 

 

この著作では、「プロジェクション」に関して、人の心と世界とをつなぐ働きといった意味を持たせています。

事故で子どもを亡くした親が、なぜ新しい立法を訴えるのかといった具体例を踏まえ、論を展開しています。

 

    

大切な人が突然失われたという無秩序な世界と、どうにかして折り合って生きていくためには、不条理な出来事になんらかの意味を見出して、秩序のある世界にしていくことが必要なのでしょう。

 

    

(東日本大震災の被害者による)体験談の当事者は驚くほど自然に、そして頻繁に亡くなった人と「会話」をしています。お墓に、仏壇に、写真に、形見の品に話しかけ、なにかあればこころのなかで、ひとりごとで、死者に語りかけています。それは、プロジェクションによる「創造的なコミュニケーション」そのものです。

 

    

大切な人といまもともに生きている、という物語について、「創造的なコミュニケーション」は常に新しいエピソードをもたらします。残された人は、物語の続きを大切な人と一緒に紡いでいるのです。

 

    

残された人の物語は、残された人が生きているかぎり大切な人とともに続いており、それが残された人の救いとなっているのです。

 

 

このあたりまで来て、私は「あぁ、「あの作品」を見た後で、俺がやりたかったことはこういうことだ…」としみじみ思ったのです。

いくつかの台湾BL作品では、バッドエンドが存在します。しかし、そういうときこそ、なぜか他の人と語りたくなります。自分が考える「後日談」みたいなものを、他の人と共有したいし、他の人の「後日談」を聞いてみたくなります。それはこういうことなんだ、と思いました。

 

私たちにとって、ドラマの主人公は(現在か過去か未来かは置いておいて)自分自身を投影した存在です。その存在が失われたとき、そこに何らかの意味を見出したくなる。これが自分にとってどんな意味を持つのか、答えを見つけたくなる。いろんな人が持つ「正解」を聞いてみたくなる。それを聞くことで、今を生きる私たちが次に向かって頑張ろうと思える糧となる(=ドラマの悲しみを乗り越えられる)のではないか?と感じました。

 

 

 

まとめ

辛い現実を前にして、自暴自棄になる人も大勢います。

私も過去一度だけ、知り合いに裏切られた時、死を受け入れようか迷ったことがあります。

 

幸い、私に死神は寄ってきませんでしたので、何とかこうやって生き続けています。

でも、そんな辛い出来事ですら、なぜか私にとっては大事な思い出なのです。私の中では、意味付けが上手くいき、その時期のことを自分の生きる糧に昇華できたのでしょうね。

 

冒頭で紹介した「暗殺教室」も、後日談的なストーリーがあり、3-Eの生徒たちは辛い思い出を忘れずに、逆に自分たちの生きる糧にしました

 

私の大好きな「ある作品」も、主人公は身を引き裂かれるような出来事があったのち、(時間はかかりましたが)光り輝く思い出を胸に、前を向いて生きていく決心をしました

 

どちらの作品も、自分たちにとって大事な存在には会えなくなってしまったのですが、だからこそ余計にその存在がいとおしく、生きる指針になっているのだと思います。

 

紹介した本の一節は、そんな心の葛藤をうまく言語化してあるなぁ…と、ここ最近暗殺教室を見ていた私にはスッと入ってくるものがありました。

 

…とはいえ、暗殺教室も残り6話。

もうここからどんな展開になるか分かっているので、泣いても大丈夫な休日にじっくり一人で見ようと思います笑

Final Seasonのエンディング曲が、また郷愁を誘うのですよ…えーん

※暗殺教室10周年を記念した、期間限定ノンクレジット版です。