3/29金曜日の夜、おサルから「無事に退社しました!」という報告が来た。

満3年の勤務、彼なりに一生懸命もがいて、一生懸命考えて出した結論だ。「お疲れ様!」と労った。

 

次の仕事は決まっていない。最後の有休消化中に転職活動をしながら、友達と旅行にも行って、Liveにも行って・・・と大分悠長な感じ。

 

次の仕事を決めずに辞めるなんて、収入が無い時期があるなんて、ビビりの私には到底無理な選択。でも、この様な期間はキャリアブレイクと言って、結構多くの人が経験しているらしい。

 

おサル曰く、

 

「仕事をしている間は仕事だけで一杯いっぱいだから、転職活動に集中出来ない。マルチタスクは得意じゃないから、辞めた後にゆっくり考えたいんだ」

 

とのこと。

 

そして、まるで就活をやり直すかの様に自己分析や業界、仕事研究をしている。時々彼に頼まれて、考えを整理するための議論の壁打ち役を引き受けているが、3年の社会人経験からの学びがある分、学生の時とは桁違いに考えが深まっている。キャリアブレイクというより大事な振り返り期間、これもキャリア形成の1ステップ。転職経験の無い私も大いに勉強をさせてもらっている。

 

それにしても。

 

そもそも、自分のことは自分では案外解らないものだ。仕事だって、人や組織や業界との相性だって、働いてみないと判らない。判らないことだらけ、無限の選択肢の中で何処か一つに決めるというのは結構な博打。それを25歳の若さでやらねばならないのだから、仕事を決めるというのは本当に大変なこと。だからこそ、今の様に労働市場の流動化が進み始めているのはとても良いことだと思う。

 

おサルも今更の様に「転職って大変だねぇ」とぼやいているが、大学受験同様、私は未経験だから、外野からやんやと応援するしかない。

 

どうぞ、この機会に沢山の人に会って話して、じっくり考えて、悩んで、心の底から「よし!」と納得の行く決断が出来ます様に。

 

 

片や私。

 

 

この3月末で勤続30年の区切りとなる。

30年!!!私も含めて、誰もこんなに長く続けるとは思わなかったよね。

 

就職氷河期で、「やりたいこと」と「やれること」の間にある大きなギャップを埋める努力もして来なかった私は、「とにかく自立」「食いっぱぐれないこと」だけを目指した。ご縁があって今の会社に就職をさせてもらったが、自分との相性なんて全く考えず、やりたいことも無く、特技も無く。有り余っていそうな体力だけをアテにされて、当時本社でハードなことで有名な、大変な事業部に放り込まれた。


余りに社風に合わないムードを醸し出していたらしく「あの子はきっと3年以内に辞める」と噂され、2年目には直属の上司から「君はこの会社には合わない、早く外資系企業にでも転職したまえ」と言われた。
 


その一方、PCを触ったことが無く、英語も出来ず、理系の多い事業部で必要だった基礎的な専門用語なんて勿論一切知らない私に、一通り仕事が出来る様に教育してみせた会社は、今から考えると本当にすごい。特に、私の教育係だった女性の先輩は芯が強くて、テキパキとして理知的で、とても素敵だった。結婚して辞めてしまわれたが、本当はずっと背中を見ていたかった人の1人だ。

視野が狭く思考も浅い若かりし頃の私は、思ったことは脳みそを通さず全部発言した。率直で生意気過ぎて、相手への配慮が足りなさ過ぎて、随分叩かれた。発言内容は、今振り返ってもそんなに間違っていなかったと思うけれど。

 

余りに叩かれて悔しいので、言動一致で示すしかないと、どんな仕事も手を抜かず、一生懸命に取り組んだ。「やるべきこと」も、一生懸命に取り組むとそれなりに「できること」が増え、面白くなってきて「やりたいこと」も出てくる、ということを知った。

 

 

不遜に闘い、とにかく前進する姿からは、「自衛隊」、「ブルドーザー」、「ユリントン」、「サラリーマン道で帯をしない女」(↔︎黒帯)など、物騒なあだ名ばかりがついた。昨年、社内で私の過去のキャリアについて話す機会を頂き、棚卸し資料を作った時には、よくあるモチベーショングラフと一緒に、「凶暴度」を示す折れ線グラフを描いた。

今、私のことを怖いと思っているそこの貴方さま、これでもかなり丸くなったんですよ、ムフフのフ。

 

 

そして、「君はこの会社には合わない」の言葉はかなり当たっていて、浮いたまま30年が経った。

 

そもそも企業人には見えないらしく、おサルが小学生の時、クラスのママ友は私のことをエアロビのインストラクターだと勘違いしていた。今でも、職業を言うと驚かれることが多い。社内で新しく知り合った人には「何処から転職してきたんですか?」と聞かれる。公益財団法人に出向してから出会ったあるNPOの方には、「何処の国で難民支援をしてきたんですか?」と聞かれて、こちらの方が驚いた。

 

転職活動も何度かしたが、妊娠と重なってしまったり、大分気持ちが傾いた時に社内で良い異動があったりと、タイミングが合わなかった。なんだかんだ言って労働条件がとても良く、私自身が面倒くさがりなこともあって、今に至る。

 

でも、残った最大の理由は、転職エージェントの方と議論をしている中で、私が一番関心があるのは結局「人と組織の成長」だと気が付いたこと。それなら、何処に行っても一緒だし、一緒ならご縁と恩と地の利のあるこの会社で引き続き頑張った方が良いなと感じられたのだ。

 

続けている中では人並みに幾つもの失敗も、辛い経験もした。沢山涙も流した。

 

でも、肝心な時には必ず誰かが見ていて、ガス抜きに付き合ってくれたり、相談に乗ってくれたり、導いてくれたりした。特に異動に関しては、万人受けするオールマイティな人間ではないので、さぞ差配される方々は苦労したと思うが、私の強みを活かす配置を次々に繰り出して頂いた。

 

 

それなりに歴史のある大きな組織ならではの面倒臭い「お作法」やサラリーマン道は今でも大の苦手だが、転職の苦労をしないで社内転職が出来たという意味で、大きな組織のメリットは存分に享受した。自分では思ってもみなかった展開の時ほど発見も大きくて、その後のキャリアがぐーっと開けた。

 

 

一緒に必死に努力をして、時に一緒に闘う中で、それぞれの仕事において社内外の戦友も出来た。友達から始まるのではなく、仕事から始まった出会いで信頼関係を築けた時には、例え付き合った時間が短くても一生の友達になる、ということも知った。そういう友達の存在は、私にとって、仕事をする上での一番のご褒美だ。離れた後は、お互いに忙しくて、ごくたまにしか会えないのに、全く心の距離を感じない人達だ。(これはママ友もしかり。)

 

 

入社した時からの付き合いで、今では創立記念日のお休みに一緒に合宿をする様な、気の置けない、優しい同期達も居てくれる。大きな病気をして長期に休まざるを得なかった時も、会社の制度と色々な人が守って、支えてくれた。

 

 

何より、自分が仕事に対してどういう価値観を持っているのかも、何が出来るのかも解らなかった私に様々な経験をさせてくれて、キャリアを積ませてくれたことには感謝しかない。お蔭様でキャリアの軸も見つけることが出来たし、パラレルワークもさせてもらっているし、親業・娘業を含む欲張りなワークライフバランスもとれた、豊かで楽しい人生を送ることが出来ている。

 

 

我が強過ぎる私の様な人間が30年も続けることが出来たのは、こうした恵まれた環境と、沢山の出会いのお蔭だ。

本当に有難うございます。

 

管理職になった頃から、もう恩返しのステージに入ったなあと感じる様になった。だから今は、人財育成と組織の成長を1番に意識して仕事をしている。

 

 

自分自身について、会社に臨むことはもう余り無い。

最長で残り8年、出来るだけ自分の強みを上手く発揮できる場所に置いてもらうことで、後輩達へ残す価値と、社会に貢献する価値を最大化したい、それだけだ。

 

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さて、そんな私の30年目の期末を支え、心と体の栄養になったこと。

 

今月半ばには、父の四十九日と納骨を終えて、少しホッとした。

また、食事に気を付けてもコレステロール値が下がらないことに危機感が募り、トランポリンも再開。東京に出社しない日は1回1時間飛ぶことにしたので、ついでに色々なドラマを観ることとなり、その中に今更ながらの「最後から二番目の恋」があった。

そのドラマが大好きな朋友親娘が聖地巡りをしたいというので、お彼岸のお墓参りの帰りに極楽寺へ。

さぁ、今年も春が来た。
31年目の新年度も、楽しみを見つけながら頑張ろう。