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between two stools

between real and fake

日々いろいろなことが頭を渦巻き、

昇華されぬまま日が経っていく。

 

本当は、考えていることの全てを吐き出してから1日を終えたりしたいものだ。

1週間が一瞬である。

 

怠惰に生きている。

 

友達は多いほうだが、全てを話せる人は結局いなかった。

いろいろ頭でシミュレーションしてみた結果だ。

 

こうして暇さえあればこのブログを開いて書き綴っている。

所在なくSNSを見るより、はるかに良いはずだ。

 

休みたい。1か月くらい。

日々に追われていると、したいはずのこともしたくならない。

まずは全て吐き出して、何もしないで、無でいたい。

とはいえ自分は今、いろいろなことから解放されている。

周りの人に比べたら、という話だが。

 

実家暮らしは、現状が続く限り、とても楽だ。

もちろん現状が続くはずなどないし、続いてほしくない。

両親と祖母と暮らしていたら、永久に子どものままである。

 

まだ独りになってから1か月しか経っていない。

でももう32歳。

今の場所は仮の居場所だから、早くちゃんとしたいという気持ちも、

そろそろ湧いてきた。

 

昨日から、ぼうっとしていると「悲しみ」という言葉をつぶやいてしまう。

頭の中ではエレカシの「悲しみの果て」が流れている。

これだけ言うと病的だが、そんなこともないと思う。

難聴になっていた時期に比べたら、今は極めて健康的だ。

人間は結局ひとりで、パートナーも幻想にすぎない、というのが何となくの持論だったが、

いざひとりになると、それでもいないよりはいたほうが良いのかな、

という気持ちにもなる。

 

ここまで書いて、最後に思うのは、真面目に生きたいな、ということだ。

honestyについて前にも書いた。

自分は、元来不誠実で不真面目な人間だから、誠実と真面目への憧れがずっとあるんだと思う。だから逆に、人からは真面目そうと言われる。

でもそれは憧れてるだけなんだ。虚構だ。

 

ブログのタイトルを変えました。

久しぶりにブログ再開して、とてつもなくダサいと感じていたから。

感性というものは変わるものだね。

結局「二兎追う者~」の英語訳からとっただけのフレーズだけど。

 

そしてサブタイトルは、現実と虚構の間。

このことについてはまた書きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実家にいるとストイックな気持ちになれない。
という風に一人暮らしをし始めてから思っていたが、やはりそうだった。

じゃあ高校生まではどうしてたのだ、という話だが。高校生まではそれはそれでそれなりにやっていたのだ。

一度一人暮らしをしてから実家に戻ると、オフになる。実家でオンにするのがとても難しくなる。

どうしたものかなぁ。

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瞬発的にイラっとした時どうするか。
例えば私は電車で限界まで椅子を倒してくる人に瞬発的にイラッとする。

その上での整理の仕方。
①まず、自分も同じことをしている場合がある。その場合は論外。怒る資格もない。これをやるとサイコ。

②次に、自分はしないけど、その人の自由である場合。つまり責めることが他人への領域への侵入にあたる場合。これも内心で腹を立てるのは自由だが、口を出すべきではないと思う。これをやると悪質クレーマー。

③その次に、自分への権利侵害が発生しているがその程度が低い(受忍限度の範囲内)場合。例えば失礼な友人、上司、後輩。日々のモヤモヤはこの領域に属する。ここを我慢するかは迷う。これをやると気難しい人。

④権利侵害が受忍限度を超えた場合には迷わず言うべきである。例としては微妙だけど、最近は極端な音漏れをしている男にやめてくれと言った。極端なというところがポイントで、この場合は周囲の乗客が皆気にして犯人探しをしている様子だった。犯人も気付いていなかった様子で過失犯。なので万事解決。

このように整理すると、人によって大きく変わるのは③と④の分水嶺ということになる。

椅子をマックスまで倒されることは②に属すると思うが、自分も後ろに人がいなければ倒してしまうことも。なので①の要素がなくはない。
ただ今回は倒されたときに自分の手に座席があたったので特に腹が立ったのである。これは一応権利侵害だが怪我したわけではないし③ということになる。
こうして整理するとスッキリする。
実際には、④であるのに口に出せないということがほとんどだろう。
ちなみに満員電車でぐいぐい押してくる人、はどう考えても私的には④なのだが、世間的には③ということになっているだろう。

こうして書いてるうちにイライラは完全に消滅。意外と使えるよ、この分類。


星野源の曲のコード進行は、はっきり言って大抵凡庸である。基本的には全てダイアトニックコード、それにIVに向かうツーファイブ、それから鉄板のIII7、あとはVImからのルートクリシェ、だいたいそんなところである。それでも聞いてしまうのはメロディと歌詞とアレンジが素晴らしいからである。
星野源は音楽理論を勉強したことがなく、楽譜も書けないらしい。だとすると納得である。彼は俳優業と二枚の草鞋だから仕方ないのだろう。

それでもときどきハッとさせられるコード進行かがある。この記事にはそれをメモしておこうと思う。

・「時よ」のサビ→間奏リフのコード進行
間奏リフに入った瞬間に5度上のキーに転調する。その結果、サビのキーでいうIが間奏リフの最初のコードのIVになっている。ピボットコードとしてIが使われているので、転調した感が弱く、絶妙の浮遊感と違和感が気持ちいい。