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between two stools

between real and fake

「会話において置かれる状況」を分類すると、話し手側と聞き手側で、それぞれ以下の2つの状況が有り得る。

 

 

【話し手側】

①話したいことを話している

②話したくないことを話している

 

【聞き手側】

③聞きたいことを聞かされている

④聞きたくないことを聞かされている

 

 

当然、参加者全員が①③の状態に置かれるのが理想である。winwin。

 

 

ありがちなのは①④の状況。

上下関係がはっきりしている義務的な会合、典型的には会社の飲み会で上司の自慢話を聞くやつだ。

自分も後輩との関係が増えて、つい自分のことを話す時間が多くなる瞬間が最近ある。

それでもなるべく聞いて面白いであろう話をするようにしているが、本当にどう思われているかはわからない。

 

 

②③もある。本人が触れて欲しくないセンシティブな情報を聞き出すやつ。「あの人とは結局どうなってるの?」とか。

これは一番自分がやってしまいがちなので本当に気を付けたいと思い続けている。

女の子に泣き出されてしまったこともある。あのころはデリカシーが皆無だったな。今も欠けているけど。。

 

 

そして②④。会話でloseloseの状況なんて普通は起こり得ないけど、意外とあるのだ。

例えば儀礼的に行われる世間話。美容院とかマッサージ店で繰り広げられる会話。

あれって快適なこともあるけど、この人にこの話全くしたくないな、というときが大半。

向こうだって別に聞きたくて聞いてるわけではない。

 

儀礼的・慣習的に、どうでもいい興味のない話題について質問してしまうことはプライベートでもある。

別にそこまで興味はないけど、相手の仕事について色々聞き出してみたり。

会話を回そうと考えて、とりあえず無難な質問をしてしまうこと。

これって「隠れコミュ障」にありがちなんだよね。

一見口は回るし何かしゃべっているんだけど、響くような話に絶対にたどり着かないタイプ。

いわゆるコミュ障には見えないのだが、本人は話すのが苦手で、悪戦苦闘の結果、どうでもいい会話をしてしまうこと。

自分は本当にその時間が嫌いだ。自戒をこめて。

慣れない人との複数人の場で、ときどきやってしまうことがあるのだ。

「合コン」が一番多いかな。。悪い記憶しかない。

どうでもいい質問をして、どうでもいい話を聞かされて、向こうも楽しそうじゃなくて。。


最近は、その空気を感じたときは「何かぶっこむ」ことを心掛けている(無意識にやっている)。

関連する暴露話をしてみたり、強引に話題を変えてみたり、強烈な毒を吐いてみたり。

それで会話の空気が変わって、②④がいつの間にか①③になっている手ごたえを感じる時もある。

 

 

いかにして①③の場を作るかということが大事なんだけど、

そのアプローチは2つある。

発信ベースでいくか、質問ベースでいくか、だ。

 

発信ベースはリスクが高い。

相手が目下になればなるほど、「楽しそうに聞いている」演技をされるからだ。

これができる人はプロだ。

通常人には、質問ベースがやはり手堅いな、と思う。

自分のことを話すほうが、人の話を聞く場合よりも一般的に楽しいことが多いと言われているから。

よっぽど触れてほしくなさそうな話題に突っ込まなければ②(話したくないことを話すハメになる)は避けられる。

ただ、自分が本当が聞きたいことを選ぶこと。これが④(興味のない話を聞かされる)を避けるために非常に重要である。

 

こうして考えると、会話においてある程度の「予習」も有効なのではないか。

確かに良い会話はその場の即興で生まれるもので、準備したものを出しても響かないことのほうが多い。

これはジャズとかと全く同じ。

でも有益な予習はある気がする。

 

それで参考になるのがテレビ東京の「あちこちオードリー」でやっている「ゲストの気になる発言リスト」のコーナー。

オードリーの2人がホストになってゲストから話を聞く番組だが、

このコーナーはゲストが過去に別の場所でした発言から、面白そうなものを拾ってきて、

その真意を聞くというもの。

本人が自発的にした発言から選んでいるから①(話したいことを話せる)になりやすいし、

チョイスするのは聞き手側だから③(聞きたい話が聞ける)にもなる。完全にwinwinなのだ。


インタビューとかするときは当然相手のこと調べていくよね。という意味では珍しいことでもなんでもないけど。

 

というわけで今後、私は飲み会の事前に、相手のSNSの最近の発言をチェックして臨みたいと思います。

ってことがバレたら気持ち悪がられるので、このことはSNSには書けません。

 

おあとがヒァウィゴー!

(最後の言葉がでてこないよ)

 

 

以前,アナウンサーの安住さんが「思い出散歩」が趣味だと言っていた。

 

自分が任意に選び出した記憶の日にトリップし,

頭の中でその日の行動を反芻するらしい。

まさに心の旅。ああ〜だから今夜だけは〜…

 

自分の場合は,というか多くの人が不意な心の旅に出かけてしまうことがあるのではないだろうか。

気づくと,とある日の記憶を次々と辿っている。

 

最近,結婚していたときのことを思い出すことはすっかり少なくなったけど,

ときどき不意に旅に出てしまうことがある。

楽しい思い出も,悲しい思い出も,辛い思い出も。

人と話しているときには,窓から景色が見えることはあっても,

旅に出てしまうことはない。

一人でいるときは危険だ。

さっきそれがあった。久しぶりに。

 

思い出したからといって事実が変わるわけではない。

なのであれば,それで感情が大きく左右されるのは不条理だ。

不必要なことだ。

とはいえそういう感情を呼び起こす記憶を持っているというのもまた事実。

無碍にすることもできない。

 

悲しみの記憶とどう向き合うか。

過去とどう折り合いをつけるか。

直視すべきなのか。逃げるべきなのか。

 

藁にもすがる気持ちで,若松英輔の「悲しみの秘義」を注文した。

四次元ポケットみたいにポンと本が出てくればいいのだが。

 

悲しみ。申し訳なさ。後悔。

その気持ちはどうなるんだろう。成仏できるのかな。

どこへ向かっているんだろう。

 

でも最近,「寂しい」という感情になることはなくなった。

フェーズが変わったということなのかな。

現在だったものが過去になった。

 

寂しさよさようなら。悲しみよこんにちは。

そう書いてみたら,なんだか,ありがとう,の気持ちが湧いてきた。

今の僕に,すがるものはない。どこにも逃げられない。

すがりたくも,逃げたくもない。

解決しないことがわかっているから。

でも,いろんなものに救われて生きていられている。

 

そう思えるもの/人に,何かお礼をしたい気持ちだ。

 

 

 

 

 

朝起きて、今まで見ていた夢は、「昨日」の夢なのか、「今日」の夢なのか。

 

どちらかというと「昨日」派なので、昨日の夢のことを思い出します。

 

序盤は小松菜奈と知り合いになる話だった。

白くて、キッチンで小松菜奈が店をやっていて、そこに通っていた。

このくらい綺麗な人と付き合えるように頑張ってみるのは大変かな、

もし付き合えても大変かな、とかウジウジしていた。

 

その空間から、かはわからないが、何らかの理由で僕は「脱出」しなくてはいけなくなった。

コロナと関係ありそう。

 

空間から外に出ると、透明の管の中にハシゴがあって、上に登るという選択肢と、もうひとつの選択肢があった。

僕は上に登るほうを選んだ。

すごく狭い管で登るのが本当に大変だった。

上にも上っている人が見えて、パンツが丸見えだった。

 

僕は何とか登り切った。

屋上のテラスのようなところに20人くらいの若者がいた。

タバコを吸ってる者もいた。

そこで皆が救助を待っているような雰囲気もあったが、

バカンスを楽しんでいるような感じもあった。

 

そのあたりから突然、自分以外の人に「モザイク」がかかって見えるようになった。

その時点で僕は、その世界の中に入り込みながら、その風景を画面ごしにも見ているハイブリッド状態になっていた。

つまり演者と観客を同時にやっていた。

夢で良くある現象だ。

 

僕は悟った。その撮影後にその人に「何か」があって、放送できなくなってモザイクがかかるパターン。

現実にはモザイクがかかるというより、編集で切られる、のが普通だろうけど。

でも夢の中なので、直後に「本当に死ぬ」人にモザイクがかかっているんだ、となぜか確信した。

 

僕は何かの方法で「早回し」をして、その後の展開を覗き見た。

屋上テラスの中に待機している人の中にサイコキラーがいて、

ピタゴラスイッチ的なシステムで、包丁をつかって連鎖的に全員を殺していた。

僕も死んでいた。

最近包丁で指を2回も切ったからだろう。

 

死にたくない、殺されたくない、と強く恐怖した。

そこで体が硬直して目が覚めた。