恩師のお祝いで気づいたことを引き続き書いておこうと思う。
勉強や研究はからっきしダメで、特にやる気もなかった人生でも低迷時代。
そんな私しかみなさんは知らない。
最近会うと、みなさんは私が仕事でそれなりに成功していることに驚き、人生は単一でないことに改めて気づく。
そもそも、子供の頃に全力を出したことがなく、かつ理系に無理やり行かされたと思っていた私に、それまでずっと頑張ってきた優秀な人たちにかなうわけなく、みにくいアヒルの子だったと思う。
ただ、心臓に毛が生えているのは生まれつきなので、そんな中でも自分のポジションをとって普通に生きていたのは今から思うとすごい。笑
全くやばいんじゃないかと思ったこともない。
ただ単にやりたいこととは違うと思ってただけ。

研究のエピソードをスピーチしたんだけど、恩師の一言でかなり古い技術を復活させたことがあり、そのときは私も活躍したことを思い出した。
あまりに手がかりがなく、昔やってた企業の名前を本で読み、電話をかけ、もちろんその技術は全くやられていなかったんだけど私の勢いに押されて、試作品を作ってくれた。
あとで報告したら、先生たちにも驚かれたけど。
そんなことができたのは私だけだったかもな。

今の私を意外にも出世したじゃんみたいな評価をしてくれるのはまぁいいけど、前にも書いたように、私はそんなことで人を見ないから。
その人そのものがすごいのかどうかしか興味ないし、しかもこういうとこがすごいとか、そういうのを自分で見極める。
そんなに外れなくて、確かに出世もする場合が多いんだけど、出世したからすごいってのはないの。笑

勉強ができる人は、自分より勉強ができない人が頭角を表すこと自体に違和感を感じることが多い。
本当は勉強ができることと頭角を表すことはイコールではないのだけど。
あまり認めたくないよね。

私は大学時代に上記のような状況で、勉強や研究のできが悪かたっから、そしてそんな中で自分の道をきちんと見つけられたから(他の人にどう見られていようと)、強くなったんだなと改めて気づいた。
間違って身の丈に合わないところを経験することも悪くない。
なんて思った。

結局、恩師に人を見る目があったという結論になってた。
私がこうなるのを恩師はあらかじめ知ってたのかもと。
どっちかな、今度機会があったら聞いてみよう。