応援が導いた奇跡――『HUGっと!プリキュア』第42話を中心に。 | ますたーの研究室

ますたーの研究室

英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

2018年12月2日放送の『HUGっと!プリキュア』第42話「エールの交換!これが私の応援だ!!」において、若宮アンリくんがキュアアンフィニに変身しました。

 

『HUGっと!プリキュア』第42話。(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 

ついに男の子プリキュアの誕生!ということで各所で話題になっていますが、

2017年の『キラキラ☆プリキュアアラモード』のピカリオに続き、ここ2年でプリキュアのジェンダーの壁はかなり無くなってきているのを感じます。

 

 

キュアエコーが体現した「女の子なら誰でもプリキュアになれる」からはや6年。

プリキュアは、あらゆる生命体がなれる普遍的な存在へと変化してきているのです。妖精でも、ぬいぐるみでも、アンドロイドでも、女の子なら誰でもプリキュアになれる。

そして、男の子だってプリキュアになれる。

ジェンダーフリーをテーマに掲げてきた『HUGっと!プリキュア』だからこそできる、作品の思想が集結した重要な話数だったと思います。

 

 

 

ところで、私は『はぐプリ』に対して全体的に辛辣な見方をしています。物語として単純にあんまり面白くありません。

ですが、プリキュアとは子どものためのコンテンツであり、外野の大人の意見は二の次になるべきである、とも思っています。

今年のプリキュアが凄まじく成果を上げているというのはれっきとした事実(『プリキュアの数字ブログ』「プリキュア、昨年の9か月分を6か月で売り上げる」)だし、子どもが楽しんでいるのであれば、大人はとやかく口を出すべきものではないのでしょう。

 

 

しかし、それなりに長くプリキュア視聴を続けてきたいちファンとして言いたいことはあります。

今作の作風に関しては色々と不満に思うところが多く、特に「その場その場でなんだかいいことを言っている」だけの作品であり、ディテールに物語的な一貫性がほとんど感じられないところが大きな問題だと思っています。

 

 

私が今作を本格的に見限った決定打になったのは、第34話の「名探偵ことり!お姉ちゃんを調査せよ!」での、はぐたんがおにぎりを食べている描写です。

 

『HUGっと!プリキュア』第34話。(C)ABC-A・東映アニメーション

 

で、多くの読者の皆さんは「このギャグ風味のほほえましい一コマに何を突っかかってるん?」って感じだと思いますが、

『プリアラ』第49話において、はぐたんはりんご・にんじん・ほうれんそうをピューレ状にした「ひよこのピュレアニマルプレート」という赤ちゃん用スイーツを食べていたんですよね。

 

『キラキラ☆プリキュアアラモード』第49話。(C)ABC-A・東映アニメーション

 

さらに、この場面でははながスプーンを2つ持っており、はぐたんのものとはなのものを使い分けている、というのが重要です。

大人のスプーンと赤ちゃんのスプーンは使い分けるべきだからですね。

 

 

このように、『はぐプリ』本編に先駆けて『プリアラ』最終回に出演したはなとはぐたんの描写は、本作が育児を中心テーマに据えてきちんと描写していくことを十分に感じさせる繊細な表現を心がけていたように思い、本作への期待が高まったのですが、今作の第34話の描写はそれを放棄してしまったことを決定的に象徴していたのです。百歩譲ってこの描写ははぐたんが成長したということを表していたと解釈するにしても、はぐたんを仮にも「人間の赤ちゃん」として描くのであれば、もう少しなんとかならなかったのか、と思わずにはいられません。

 

 

他にも、以前にも話題に挙げた正人がオシマイダーにされてプリキュアに浄化された途端、「えみるがギターを弾くのすら認めない」くらいの旧来的なジェンダーロールに縛られていた価値観が180度転換して、やたらジェンダーフリーに理解がある感じに変わってしまったのも不満でした。

第20話の感想で、「正人の今後の描写はいい着地点を見つけてほしい」と書きましたが、それ以降の展開はここで危惧していたことのど真ん中を見事に打ち抜いていったので、本当に残念でした。

 

 

正人の変化した価値観自体を非難しているわけではありません。今のご時世「女の子なんだからギターを弾いちゃ駄目」とか思っている方がどうかしてます。あと、男である私がプリキュアを見ているということだけで後ろ指を指されたくはありません。

そうではなく、あまりにも簡単に価値観が変わっていったことを非難しています。なぜなら、小さい時からあの家庭に生まれ育って培われた価値観は、そう簡単には変えられないものだと思うからです。人は、簡単には変われません。

 

 

正人の変化のポイントはまさにプリキュアの浄化であり、プリキュアに救われたことによってこれまでの価値観をいとも簡単に捨てるという描写は、プリキュアが今の社会的な通念へと個人を教化する政治的正しさの権力を象徴しているように思いました。

個人的には、あまりやってほしくなかった。

 

 

えみるの物語で言うと、第41話でラスボス的に旧来的な家父長制を敷く愛崎家の嫌なおじいさんが出てきましたが、嫌な役回りは最初からあのおじいさん一人でよかったのではないかと思わずにはいられませんでした。えみるの兄、そしてアンリの親友として正人があんなに重要なメインどころを張るのであれば、「厳格なおじいさんの言うことに従うけれども、えみるの価値観も尊重したくて、その板挟みに葛藤している優しいお兄ちゃん」として最初から登場していればよかったのに、と思ったのは私だけでしょうか。

 

 

このように、不満なところを挙げればキリがないというのが正直なところなのですが、それでも第42話はたいへんよい話数だと思いました。

男の子プリキュアが誕生したことにばかり目が行きがちですが、本話の主眼は「はなの応援の本質」が提示された方が重要だったと思います。

あくまで、アンリがキュアアンフィニへと変身出来たのは、キュアエールの応援、輝く未来をハグすること、「なんでもできる!なんでもなれる!」といった『はぐプリ』がこれまで大切にしてきたテーマがあってこそと読むべきでしょう。

 

 

そして、先ほどは『はぐプリ』の一貫性のなさを不満点として指摘したものの、本話数でははなの応援、アンリの在り方、そしてチャラリートの励まし、の中にしっかりとした一貫性が物語全体を通底していました。第1話の「わたしのなりたい野乃はなじゃない!」があったから「これは僕のなりたい若宮アンリじゃない!」があったのですし、第11話の「これがわたしの応援。わたしのなりたいプリキュアだ!」があったから「フレ!フレ!アンリくん!」があったのです。

 

 

本話数の中で一番よかったと思ったのは、アンリをどう応援したらいいのか悩むはなに、手を差し伸べしたのがかつてはなに浄化されたチャラリートである、という構図です。

 

 

『HUGっと!プリキュア』第42話。(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 

「はなの応援は今でも自分の心に残っている」と伝え、「その節はサンキューで~っす!」とお礼を伝えるチャラリートの姿には、思わずぐっとくるものがありました。

 

『HUGっと!プリキュア』第42話。(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 

応援とは、相手を認めたうえで自分の好意を伝えること。相手の幸せな未来を願うこと。相手を優しくハグすること。

はなの応援のおかげで、一人の人間の未来が確実に変わったのだということが、チャラリートによって改めてしっかりと提示されたのは、今後の最終決戦にも関わってくる重要な描写だと思います。

 

 

そしてはなの応援は、絶望に閉ざされたアンリの未来をも変えることができた。「なんて言葉をかければいいのかわからない」けれども、あなたを応援したいのだというキュアエールの真心があったからこそ、キュアアンフィニが誕生するという奇跡も起こすことができた。

本作が描こうとする「応援」の本質が改めて提示された話数の帰結として、キュアアンフィニを理解するべきだと思います。

 

 

というわけで、『はぐプリ』という物語的にも「プリキュア」というシリーズにおいても重要な話数として今後記憶されるであろう第42話だったわけですが、いよいよ本作もクライマックスへと向かっていきます。

相変わらず本作全体の評価はあまり高くない私ですが、今作で提示されたメッセージそのものはとても共感できるし、子供向けアニメで真正面から扱っていく姿勢それ自体は評価しています。

 

 

ただ、そういうことをやる前に、メインキャラをきちんと掘り下げてほしいし、あとバトルをちゃんとやってくれという「プリキュアシリーズ」そのものの要請をきちんと果たしてほしかった、というのが恐らく私の『はぐプリ』総評になるのでしょう。

いや、戦闘シーンのカロリーは重要でしょう?だって、戦闘(美)少女もの(ただし、別に男の子が戦っていてもよい)が観たいのですから。