2020年12月20日追記:『スーパースターズ』の感想
2年ぶりに本作を再度視聴しようと思った理由は、北川理恵さんのアルバム『MY toybox~Rie Kitagawa プリキュアソングコレクション~』のラストトラックである「明日笑顔になぁれ!」がすごくよかったからだ。
これを聴いたときに、「『スーパースターズ』は渋い評価をしてしまったけど、ダブリン留学を経た今見返すと違うものが見えるかもしれない」と思い Amazon Prime Video ですぐに観た。そして、予想通りの結果となった。
『映画プリキュア スーパースターズ!』
実は評価は自分の中ではいまいちで、クローバー・闇の鬼火・ウソバーッカの関係性がいまいち掴めずに困惑して観ていたのを覚えています。なんというか、本作の敵は完全にサイコパスのそれだったんですよね。
当然のことながらプリキュアチームが最終的には頑張って勝ちましたが、物語としての勝利の必然性みたいなのは実はなく、どうしようもなくなって「お約束」の力で勝ったように見えました。
「『意味不明の悪意』についてはプリキュアはどうすることもできない」というヒーローとしてのプリキュアの限界を表象していた、というのが自分の本作の読みです。うーん……。
2年前の僕が決定的にわかっていなかったことは、「約束」「復讐」そして「幸せ」という、相反する(というよりも多層的な)花言葉を持つクローバーが象徴するような、物事の持つ二面性にフォーカスが当たっているということである。
本作の最初の山場は、ウソバーッカと対峙する場面で「もしかしてあなたは、あの時のクローバーなの?」と野乃はなが気づく場面である。
それに対し、敵はそれまでのおどけた口調・声色から一変して、「クローバーの頃はだいぶ忘れた」と重たいトーンで答える。「そうだよ、僕がクローバーだよ」
「あなたを別の世界へと連れてってあげる」という約束を守れなかったために、少年・クローバーは怪物・ウソバーッカへと変容してしまった。
加えて、何を言っても「うっそ~~」とプリキュアたちを翻弄させてきたウソバーッカが、このときだけは「嘘である」とは言わない。
このシーンは、端的に言ってめちゃくちゃ怖い。ウソバーッカの得体の知れない不気味さは、それ単体をとってみても結構怖かったところで、その怪物の正体が幼い思い出の中にいた少年であったことが判明したのだから、それはもうめちゃくちゃ怖い。劇場で観ているときに、もっと怖さやおどろおどろしさを敏感にキャッチしておくべきだった。
冒頭で記載した「二面性」のポイントはまずここにある。
はなが約束を守らなかった、というよりも守れなかったために、クローバーは深く傷つき、全てを石の世界へと変えようとする怪物になってしまった。
クローバーの花言葉が「約束」「復讐」の二つを持っているように、人間の心は善性と悪性の二つを持っていて、傷つけられるとそのバランスを崩してウソバーッカになってしまうのだ。
物語中盤、ウソバーッカは人間の心の闇を吸収し、さらにパワーアップを遂げようとする。
このシーンも根拠の一つになるが、ウソバーッカはまさに心の闇を具現化したような概念的な存在であると捉えられる。
村上春樹の小説で言えば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「やみくろ」、「かえるくん、東京を救う」の「みみずくん」、『海辺のカフカ』のジョニー・ウォーカー、『1Q84』の「さきがけのリーダー」。こういう春樹の小説によく出てくるような、得体の知れない・意味がわからないものの、明確な悪であり闇あると名指される存在と同じ系譜の敵キャラクターだ。
ウソバーッカが巨大化しようとした刹那、はなは六角形の館を見つけ、もう一度扉をくぐり、過去のクローバーとの再会を果たす。
そして「約束を守れなくてごめんなさい」とクローバーに伝える。
この出来事によって因果律に変更が生じ、ウソバーッカとプリキュアの戦況が変わるようになる。
この場面は「トンネルのむこうは、不思議の国の町でした」(『千と千尋の神隠し』)というエッセンスにつけ加えて、タイムパラドックス的な要素が提示される場面なので、なかなか複雑で難しい。だが、丁寧に読み解いていけば必ずわかるように作劇がなされている。
クライマックス、最後の決めの大技「プリキュア・クローバーフォーメーション」を放つ前の決定打となったのは、キュアミラクルの約束の提案だった。
12人のプリキュアたちが手をつなぎ、絶対に破らない約束の誓いを立てる。その約束の力によって、形成を逆転させ闇の鬼火を浄化させることに成功した。
ここも約束の持つ二面性の一つの側面であると解釈できる。
クローバー/ウソバーッカが示すように、約束は、破られることによって深く傷つくこともある(約束の裏の側面)。
一方で、物語冒頭・はなは約束を信じ続け、ほまれ・さあやを一人待ち続ける。それは、「どんなに遅れてもあの二人は絶対に来てくれるはず」という信頼があったからだ。約束を結ぶことは、(あなたは必ず約束を守ってくれるだろうと)信頼していますという気持ちの表明でもある(約束の表の側面)。だからこそ、プリキュアの結んだ約束の強い結束力によって、劣勢を覆すことができたのだ。
確かに、それこそ「お約束」感が否めない展開であるとも感じられるかもしれないが、物語全編を通じて「約束」の表象は一貫していると僕は捉えたい。
本作は、「嘘をつかないようにしよう」「約束を守ろう」という道徳的なメッセージだけでは回収しきれない、怖くて不思議な話なのがいい。
そして、この物語の味わいはアイルランド・ダブリンだからこそ出ているというのもポイントが高い。例えばイギリスではこの物語は成立しない。なぜなら、イギリスには妖精がいないから。
アイルランドは、緑色だ。
1年くらいあの地で暮らしていたからこそ、クローバーが咲き誇り、一面に緑萌えていくラストシーンがたいへん美しいことがわかる。物語冒頭からストレスの強い話をずっとやってきたからこそ、ここのカタルシスは息をのむほどの感動や快感が押し寄せてくる。
というわけで、2年間経って本作の僕の評価は一変し、名作であると感じられるようになった。
自分語りで申し訳ないが、それにしても2年間で感性ってだいぶ変わるんですね。というか、村上春樹とかをたくさん読み始めたのも留学がきっかけだったし、当時は自分の文学レベルが足りてなくて読みきれてなかっただけな気がしている。
アイルランド・ダブリンで文学の修行をし、帰国後に国会図書館の文学の試験を受け、修士論文を日本語で書いたこの2年間の取り組みは、決して無駄ではないことを改めて実感できた。
こういう概念の寓話みたいな挿話は好きだ。さらに、本作は簡単に消費可能なわかりやすくて感動的な物語ではないのがいい。
加えて、本作は「クローバー」と「野乃はな」だからこそ成立した話なのも大変よい。本作は草と花の寓話でもあるのだ。
―――(追記ここまで)
Dia dhaoibh!
唐突ですが、9月からアイルランドはダブリンにいます。
英語圏の国で英文学を学ぶために、1年間の交換留学でユニバーシティ・カレッジ・ダブリンに来ています。
ダブリンですが、とりあえずもうすでに寒いです。こちらはもうすでに日本の11月くらいの気候です。
(ようやく今年のありえんくっそ猛暑を脱したと思ったのに、秋の一番いい時期をすっ飛ばして冬を迎えつつある寂しさ……)
アイルランド・ダブリンと言えば、今年の春のプリキュア映画『スーパースターズ!』。
主人公・野乃はなが幼少期にクローバーと出逢った場所です。
(C)2018 映画プリキュアスーパースターズ!製作委員会
せっかくダブリンにいるのですから、聖地巡礼するしかありませんね!!
というわけで、本記事では『スーパースターズ!』聖地巡礼記 in Dublin をお送りします(※1)。
(C)2018 映画プリキュアスーパースターズ!製作委員会
まず最初に、本作においてどういう文脈でアイルランド・ダブリンが登場したのかを再確認したいと思います。
物語中盤、はなは幼少期の想い出を振り返ります。
家族旅行で訪れたダブリンで、家族とはぐれてしまった幼いはな。
家族を探して古い路地裏を歩いていると、石造りの六角形の建物を見つけます。
不思議な扉をくぐると、そこは異世界につながっていました。綺麗だけれども、人気のない寂しい世界。
はなはクローバーという少年に出逢います。
「外に出てしまうと消えてしまうが、外の世界を見てみたい」と言うクローバーに対し、はなは「外の世界に連れてってあげる」と約束し、現実世界へと帰ります。
しかしながら、はなはもう二度と異世界の扉を見つけることはできませんでした。
だから、クローバーとの約束も果たすことができなかったのです。
さて。
ダブリン、こんな感じの建物がいたるところにあります。教会を始め、歴史を感じさせる石造りの建物がひしめき合っています。
六角形の建物があった庭のような空間は、聖パトリック教会の公園がモデルかなあと思いました。
石造り建物写真を連投しておきます。
なんというか、ダブリンを歩いていると本当にクローバーの世界に迷い込みそうな気がします。
↑これ結構気に入ってます。
もう一点。アイルランドにおけるクローバーの位置付けについて説明しなければなりません。
アイルランドの国花は「シャムロック」、すなわち三つ葉のクローバーです。
アイルランドは主としてカトリックの国なのですが、この地にキリスト教を広めた聖パトリックが、三位一体の教義を説明するのにシャムロックを用いたという伝説が有名です。
(C)2018 映画プリキュアスーパースターズ!製作委員会
本作の六角形の建物にはクローバーをあしらった窓がありますが、これは直接的なモデルを見つけました。
↑以上クライストチャーチ大聖堂の内部。めっちゃよかった。
それにしても、はながダブリンでクローバーの妖精と出逢ったのは必然だったのではないかと思います。
本作が公開されたのは3月17日。アイルランドでは聖パトリックの命日であり、カトリックの祝祭日です。盛大なお祭りが催されます。
アイルランド大使館も、この日に本作の宣伝ツイートをしていました(https://twitter.com/irishembjapan/status/973483813006344197)。
アイルランド的な要素は、本作の雰囲気に独特の色どりを大いに添えていたように思います。
『映画プリキュア スーパースターズ!』
実は評価は自分の中ではいまいちで、クローバー・闇の鬼火・ウソバーッカの関係性がいまいち掴めずに困惑して観ていたのを覚えています。なんというか、本作の敵は完全にサイコパスのそれだったんですよね。
当然のことながらプリキュアチームが最終的には頑張って勝ちましたが、物語としての勝利の必然性みたいなのは実はなく、どうしようもなくなって「お約束」の力で勝ったように見えました。
「『意味不明の悪意』についてはプリキュアはどうすることもできない」というヒーローとしてのプリキュアの限界を表象していた、というのが自分の本作の読みです。うーん……。
ですが、1か月ほどダブリンに住んでいて、クローバー/ウソバーッカのことが少しわかってきたような気がします。
アイルランドには妖精がいます。そして、いい妖精だけでなく、悪い妖精もいます。
中には物を盗んでいったり、子どもを誘拐したりと、とわりと洒落にならない奴もいます。
クローバーは妖精であることが最後に示唆されますが、本作の敵役であったウソバーッカも、本質的にはアイルランドに住む妖精だったのではないかと思います。
ウソバーッカの剽軽さと最終形態のおどろおどろしさも、ケルトの神話や妖精譚を補助線にすればなんだかわかりそうな気がしてきます。
↑天気いい日のリフィー川はめっちゃ綺麗
それにしても、アイルランド・ダブリンがちらっとでもプリキュア世界に登場したのは純粋に嬉しかったです。
本作を劇場で観ていたのはすでにダブリン留学が決まったあとだったので、はなの口からダブリンという言葉が出たときは「え?」と思わず声を漏らしてしまいました。
プリキュアに登場した聖地と言えば、『花の都』『パリッと!』のパリ、あとは『NS1 みらいのともだち』の横浜・みなとみらいが印象的でしたが、そのラインナップにダブリンが加わったことを嬉しく思います。あんまりアイルランド・ダブリンって日本のアニメで描かれることが少ないと思いますし。
なので、アイルランド・ダブリンの空気感みたいのが本記事を通して少しでも伝わってくれれば幸甚です。すごくいいところですよ。
最後に、なぜアイルランドなのかというと、キュアエールの言葉遊びではないでしょうか。
キュアエールのエールは、"Yell"(英:応援) と"Aile"(仏:つばさ)のダブルミーニングというのが公式設定らしいです(『アニメージュ』)が、
これに "Éire"(エール:アイルランド語でアイルランドのこと)もかかっていたのではないか。こういうの、洒落が効いていて結構好きです。
※1:『スーパースターズ!』の感想記事は観劇直後に書いたものの、結構辛口な上にまとまりがつかなくなってしまったのであえなくボツとさせていただきました……。印象に残ったシーンを一つ挙げるとすると、「まほプリチームの絆を強く感じさせる描写」(色んな人が絶賛していたシーン。みらいちゃんの中の人のりえりーも言及していた)がめちゃめちゃ良かったと思います。