1. はじめに~『Go! プリンセスプリキュア』(2015)への思い入れ
数あるプリキュアシリーズの中でも、『Go! プリンセスプリキュア』(『Go! プリ』)は特段思い入れが強い作品です。
思い入れが強いからこそ、いくらかまとまりをもって語りたいのです。それは、この作品の特徴――基本的にどの話も作品全体をなす大きなテーマと明確につながっており、一話一話の積み重ねによって一年間をかけて大きな「織り物」を作ろうとする――とも密接に関わっています。
『Go! プリ』が作り上げた「織り物」を、主に文学とことばでのアプローチを用いながら、あらゆる手段を使って紐解いていくのを目的として、しばらく時間をかけて作品を追いかけていきたいと思います。
2. 「夢」ということば
まず、ここ数年「夢」ということば、および概念が気になっていることを宣言したいと思います。
試みに手元にある電子辞書の『デジタル大辞泉』で「夢」ということばを引いてみました。
1. 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。
2. 将来実現させたいと思っている事柄。
3. 現実からはなれた空想や楽しい考え。
4. 心の迷い。
5. はかないこと、たよりにならないこと。
『デジタル大辞泉』「夢」
こうしてみると、「夢」という言葉は様々な意味を持っていることがわかります。そして、『Go! プリ』がテーマとする「夢」は基本的に2番の意味に当たることもわかります。
ところで、「寝るときに見るもの」と「将来こうしたい、ああなりたいという願い・希望」を、同じ「夢」と呼ぶのはなぜなのでしょうか。大分違うものだと思うのに。
これが、今私が抱いている一番大きな問題であり、『Go! プリ』を分析しようと思い立った大きな理由です。
「夢」について、『日本国語大辞典』も調べてみました。
(1)睡眠中に、いろいろな物事を現実のことのように見たり聞いたり感じたりする現象。多くは視覚的性質をもち、覚醒時の刺激の残存や身体内部の感覚的刺激に影響されて起こるもの。仏教では、四果の聖者や縁覚は夢を見るが、仏は夢を見ないとされる。
*古今和歌集〔905〜914〕恋二・五五二「思ひつつぬればや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを〈小野小町〉」
*源氏物語〔1001〜14頃〕夕顔「君は、ゆめをだに見ばやと思しわたるに、この法事し給ひて、又の夜〈略〉そひたりし女の、さまも同じやうにて見えければ」
*今鏡〔1170〕六・ますみの影「賀茂にぞ限りなく仕うまつられし。中納言までと、ゆめにも見られたりけるとかや」
*色葉字類抄〔1177〜81〕「夢 ユメ」
*名語記〔1275〕六「よるねいりてよろづの事をみるを、ゆめとなづく」
*盤珪仏智弘済禅門御示聞書〔1688〜1704頃〕上「夢を見るは熟睡といふ物ではない」
(2)覚醒中に視覚的な性質を帯びて現われる空想や想像で、それに引き入れられて放心状態になるようなものをいう。また、非現実的な空想。白昼夢。
(3)((1)を比喩的に用いて)ぼんやりとして不確かなさま、はかないさま、頼みとならないさまなどをいう。→夢幻泡影(むげんほうよう)。
*古今和歌集〔905〜914〕哀傷・八三三「寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞゆめにはありける〈紀友則〉」
*師郷記‐永享六年〔1434〕正月一九日紙背(某書状)「夢らしく候て、御用に立候はしと思食候」
*洒落本・契情買虎之巻〔1778〕五「もしわずらって、死にでもしたらどふしなさる。ゆめでくらす世の中にさりとはわるい思つきだ」
(4)心のまよい。迷夢。
*源氏物語〔1001〜14頃〕若紫「吹きまよふ深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな」
*山家集〔12C後〕中「驚かす君によりてぞ長き世のひさしきゆめは覚むべかりける」
(5)将来、実現させたいと思っている事柄。将来の希望。思いえがく将来の設計。また、現実ばなれした願望。
*常長〔1914〕〈木下杢太郎〉四景「世は移って、ああ、わが夢も消えたぞ」
*男の遠吠え〔1974〜75〕〈藤本義一〉夢と約束「女はどうも男の夢を理解しないようである」
(6)現実のきびしさから隔絶した甘い環境や雰囲気(ふんいき)。
『日本国語大辞典』「夢」
こうしてみると、「寝るときに見るもの」としての「夢」は、だいぶ昔から使われていたことがわかります。そして、その「夢」から「不確かさ」「曖昧さ」「非現実さ」などの意味が派生し、(2)~(4)の意味が生まれたことであろうことが推察されます。
それに対して、(5)の意味、「将来実現させたい希望」としての「夢」の用例はどちらも20世紀、つまりは明治時代以降の使用例であり、これは外来語由来の意味であること考えられます。つまり、日本語に本来あった「夢」には(5)の意味はなく、舶来の概念("dream")が日本語の「夢」に付け加えられたのではないかという推測が成り立ちます。
さらに、『漢語林』でも調べてみましたが、「夢」という漢字の原義は「暗い」ということがわかりました。「夢」の下にある「夕」は夜を表し、「目がはっきりしない」「屋内の寝台に寝て暗い中で見るもの」として「ゆめ」の意味を表すことになったそうです。
そして、『漢語林』の用例説明では「くらい、あきらかでない」という意味から、「実現するかどうかわからないがやりたいと思うこと」「現実のきびしさを忘れている状態」として「夢」の後の用例が説明されていました。
さて、気分を変えて次は英語の "dream" を検討します。Oxford English Dictionary という大きな英語の辞書で、"dream" を引いてみます。
1. 睡眠中の心の働きによって生じる、一連のイメージや考え、感情のこと。ときどき、物語のような質を伴うこともある。あるいは、この現象が起こる状況のこと。また、起きているとき、寝ているときに限らず、予言的だったり超自然的な幻覚を経験することも夢と呼ぶ。
2. 想像されたことや考案されたもの。人工的な考えや信条。幻想、妄想。
3. 未来に向けた展望や希望。(初期の使い方では主に)はかない希望や浅はかな幻想。(現在では)理想、目的、野望、大志。
Oxford English Dictionary, "dream" (拙訳)
この辞書も先ほどの『日本国語大辞典』と同様に「その用例が使われ始めた時代順」に並んでいるので、英語の "dream" においても本来の意味は「寝る時に見るもの」であり、そこから様々な意味が派生したと考えられます。ちなみに、古英語における "dream" の原義は「喜び」「楽しさ」「陽気な笑い」「歓声」であり、そこから現在の「夢」の意味へと派生したこともわかりました。
さて、日本語の「夢」と英語の "dream" を調べてみましたが、「夢」という言葉は複雑な意味とニュアンスを持ち合わせている、ということが言えます。
そして、「喜び」や「楽しさ」などを原義としていた "dream" と比較して、日本語、および漢字の「夢」は、「将来の希望」といったようなポジティブな意味としての「夢」の用例はあまりなく、むしろ「頼りなさ」「儚さ」「浅はかさ」などの方が強いことがわかりました。
恐らく、「将来の希望・願望」といった意味での「夢」は、寝るときに見る夢のようにぼんやりとしていて儚いものであり、さらに現実感がないことから、その連想で「夢」という意味が派生していったのではないかと私は考えていますが、これ以上詳しいことはあまりわからなかった、というのが正直なところです。
ところで、「はかない」という字は人の夢と書いて「儚い」と読ませます。これについても色々と調べてみたのですが、「はかない」は「果無い」「果敢無い」とも書き、「思い通りにいかない」「期待外れである」「頼りにならない」「あっけない」「無常である」と、古典の時代から否定的なニュアンスを持つ言葉であることがわかります。「儚」の漢字の出どころも調べてみたのですが、あまりよくわかりませんでした。
さて、「『Go! プリ』を観るのにこんなに背景知識いるん?」と言われてしまうくらいマニアックな議論を展開してしまいました(余談ですが『プリアラ』ではひまりん推しです)が、これらの「夢」の意味を踏まえて『Go! プリ』の第1話を見返すと、色々と面白いことが見えてきます。
3. 「プリンセスになりたい」という夢
『Go! プリ』の主人公、春野はるかはノーブル学園に通うことになった中学1年生です。
『Go! プリンセスプリキュア』「第1話」(C)ABC・東映アニメーション
彼女には幼いころからずっと大切にしている夢があります。それが、「花のプリンセスになりたい」という夢です。
というのも、彼女は幼い時に読んだ絵本『花のプリンセス』のプリンセスにとても強い憧れを抱き、それ以来ずっと「プリンセスになる」という思いを大切にしてきたのです。そして、中学受験を見事突破して「夢を叶える学園」ノーブル学園に入学を決めたのでした。
ところが、第1話は彼女は4歳のときの回想から始まります。心無い男子から「おまえがプリンセスになれるわけないだろう!」と夢を馬鹿にされる場面。そして、泣いてしまう幼いはるかの様子。
そんな、「プリンセスになれないのかな……」と落ち込んでいるはるかの前に現れた少年がカナタでした。彼ははるかの夢を尊重し、夢のお守りとして「夢の鍵」を授けます。
ここの場面は「少女漫画」を強く意識して構成されており、典型的な "Girl Meets Boy" の一幕です。この時の少年カナタはホープキングダムの王子であったことが後に判明します。
さて、ここで指摘しておきたいのが、第一話で明確に示される「はるかの成長」が、『Go! プリ』という物語全体の主軸となっていく、ということです。
今回のはるかの大きな成長の一歩は、次の二場面によって端的に示すことができます。
『Go! プリンセスプリキュア』「第1話」(C)ABC・東映アニメーション
同室になった七瀬ゆいに、「プリンセスになりたい」という夢を恥ずかしさから打ち明けられなかったはるかが、一番最後には「プリンセスになることが私の夢!」と高らかに告げられるようになります。これは、大きな成長と言えるのではないでしょうか。
「プリンセスになりたい」という夢が、中学生にしては年齢不相応であり現実感のない「恥ずかしい夢」であること、そのことははるかにも自覚がありました。
ここでの「夢」はまさに日本語の「夢」がもつ「曖昧な心の迷い」「現実感の乏しい願望」というネガティブな面の表象となっています。
しかし、ゆいの夢を取り返すべく、夢をけなしたクローズに立ち向かったこと、夢を守る戦士・プリンセスプリキュアに変身したこと、ゆいの夢を守ることができたこと、これらの経験を通して、はるかは自身の夢ともう一度向き合い、「夢」のネガティブな面を克服しポジティブで確固たる「夢」にできたのではないか、と思います。これははるかの夢の実現への実に大きな第一歩であり、はるかが達成した大きな成長です。
こうして、プリンセスは自らの夢への第一歩を踏み出すのでした。第2話ではるかが言った「レッツゴープリンセス!」という言葉は、物語の終盤にもう一度登場し、重要な役割を演じることになります。
『Go! プリンセスプリキュア』「第2話」(C)ABC・東映アニメーション
4. 運命の出会い
やがてはるかは、生徒会長を務めバレエも堪能な「学園のプリンセス」海藤みなみ、一流モデルを母に持ち、自身も人気上昇中のモデル・天ノ川きららと出会い、3人は「プリンセスプリキュア」を結成しました。
『Go! プリンセスプリキュア』「第2話」(C)ABC・東映アニメーション
『Go! プリンセスプリキュア』「第5話」(C)ABC・東映アニメーション
「夢を叶える」物語は「運命の出会い」の物語でもあります。
「自分の夢を叶えるのは自分にしかできないが、自分だけではできない」というのが、『Go! プリ』が提示した「夢の性質」の1つでした。このプリンセスプリキュアの出会いが、それぞれの運命や道を変えて行ったということは、指摘するまでもないことでしょう。
ということで、今回は「夢」という概念を丁寧に整理し、3人の結成をまとめました。
ところで、本作は『プリンセスプリキュア』ではなく『Go! プリンセスプリキュア』であり、この「Go!」が非常に重要であると考えています。
「夢へ向かってGo! Go! ごきげんよう!」というフレーズが示す通り、本作では「夢へ向かって突き進む」という描写が一貫しており、スポ根アニメよろしくなアツく直線的な作劇がなされています。そのまっすぐな心意気は今までの歴代シリーズが積み上げられてきたプリキュアらしさと結びついて、素晴らしい作品になったのだと思っています。
とまあ、こんな感じの熱量で何本か『Go! プリ』を語っていこうと思います。
なんというか、『輪るピングドラム』でどっぷり運命論に浸かったので、それと180度真逆を行く強い意志の物語を語りたいんだよなあ。