赤い行進歌 3本の指 6 | オランダの村で暮してました

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オランダ南部のお城村で暮らしたお節介からメッセージ
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これも2月10日に書いたことであるが私はデモ隊の歌がなんだか、イヤ、というか、正直。今日は家の前のデモ行進をみてなんだか怖くなったのである。若者たち、ほぼ若者たちのみ、赤いシンボルの中の敬愛する女史、赤い旗、軍歌調のこの歌(ひと昔前に日本の右翼がよく市ヶ谷界隈でで奏でていたような)、、、、

 

ハッと胸をよぎったのはあの文化大革命、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の若者たちの行進である。

 

赤い行進であるとともに、なにに対してでも『憎しみ』を土台とする行進は暴走する。若者たちは憎しみの感情が一番簡単に手っ取り早く爆発的なエネルギーに変換できるのだから。たとえ、今回の対象がエムトップという邪気だとしても、『憎しみ』に基づくものであれば、私にとってそれは恐ろしい行進になるのである。

 

こんなことを想ったのはデモのちょっと長びいてくると、正直、生活に支障が出てきていることも確かで、応援はするけれど元の普通の生活したいなぁなどと。私ですら思うのだから一般市民・庶民は「デモはいい加減に一休みしてくれないかな」とまで、思わないだろうか。

 

フランスの作家、マルグリット・デュラスの共産党離脱宣言の言葉。

「私は共産党から離脱します、何故なら人間は平等(正義を尽くす、博愛も?)の喜びよりも自己の快楽を優先する生き物だからです」

とか何とかだったことも思い出す。

 

こういう人間の性にイラついたら(若いものほど短気になりがち)、憎しみ>爆発的なエネルギー>恐怖をもって統制(行進)>、つまり暴走につながらないかと、不安に思うのである。

 

行進が憎しみではなく、この国の将来に対する愛に向かって、進みますように。