宮城県内で最後まで避難所が残る気仙沼市について | 気仙沼 ボランティアネットワーク 聖敬会 オフィシャルブログ

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東日本大震災後、現地で活動していたボランティアが チームとなり 生まれました!  小さな力ではありますが 気仙沼の復興のために一歩でも前へ!

おばんです。

事務局長の平田です。

気仙沼の応急仮設住宅について いくつかのコメントをいただきましてありがとうございました。これは、私が一概に意見を述べてはならない事だと思いますが、あくまでも個人的な感想だとご理解いただければと思います。

先日、地元気仙沼の新聞に以下のような記事が掲載されました。

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事実だけでは、気仙沼市が用意しました応急仮設では、必要数に足りています。しかし、それは一関市千厩、室根地区の3百強も含まれており ここでは未だ空部屋があるのも事実です。
こちらに入居されない方々には、それぞれ理由があり、主に交通関係(通院など)等から入居に至れない方や 自宅の補修を待っている方(気仙沼では大工さんの順番待ちがあります)等、色々なお話を聞きます。

ひとつ、残念なのは 一関市へ仮設住宅を作ることの決定が遅れたことです。当初、気仙沼市では、なるべく市内に建設するべく努力されていたことは報道等で知っています。しかし、平地が少ない中、建設が難しい事も想定されていたと思います。また、山を崩して…などの話も耳にしましたが ライフラインの問題もあり、実現可能な事ではないように思えました。
以前(6月頃)こちらでも書きましたが 室根町では、避難所や仮設住宅を室根町に作っては?と、かなり前から打診していたそうです。
もし、気仙沼市が早い段階で他県とはいえ 隣町の一関市に仮設住宅の建設を決めていたら 状況は違ったのではないかと思えてなりません。気仙沼市の中でもかなり良くできている(統計はないのですが…)この仮設住宅には多少、遠くても…という希望者がいたのではないでしょうか?心身や交通の事情から どうしても場所にこだわらなければいけない方が残ってしまった印象は、受けてしまいます。

しかし、最後まで気仙沼市内に建設しようと努力されたのも 理解していますし、加藤気仙沼副市長の抽選も公平なものだったとも思っています。

東日本大震災という、想像も出来ないほど 大きな災害の後では マニュアルは無いも同然です。この様な時こそ、基本にぶれない判断力が大切なんだと思わずにいられませんでした。

この事は賛否両論あるかと思います。あくまでも私的意見として捉えていただければ幸いです。

事務局長:平田