昨日は平和祈念資料館で、瀬田ひろ美さんの一人芝居、「地獄から戻った私」を観ました。
なかにし礼さんの「赤い月」と重なり、脳裡から離れなくなりました。
そう言いながら、帰ってからは、Xファイルを自宅で友人らと観たのだが、現実逃避をしている自分にも気がつきました。
幸せな生活が、戦争で突如一変することの恐ろしさを改めて知り、私は今まであまりに利他を考えずになんと平和ぼけして自己愛だけで生きてきたのだろうか~と、多いに今更ながら気がついたのであります。
夢を抱きながら満州国に渡って間もなく、夫は徴兵されて家にはいなく、戦争の偽の情報に色々と操られながらも、家を守ろうと普通に生活してた親子の話から始まりました。ロシア兵から逃げ出す様は、胸が詰まる思いであった。若い母親は、子供2人を背負い、周囲の人や土地の人に時に助けられながらも、6歳の長男の手をひき、果てしない悪路を逃げ惑うのである。やがてお乳が枯れ、涙も枯れ、ついに感情も消え行くほどの地獄の行程を体験する様は、戦後生まれの私には想像が出来難い様でもあるのである。
その必死に生き抜こうとする母親を通して、今を生きる意義さえ考えてしまった。次々に背中で亡くなる子供の体温の変化もわからず、手をひきながらも徐々に弱って行く長男を引っ張りながら、あちらこちら逃げ惑う姿が、瀬田さんを通してひしひしと伝わり、子供らの死に、涙、涙しか出てこなかった。
涙が出るのは、まだまだ心身にゆとりがある証拠、生と死の極限状態になったら、涙も枯れてしまうのだろう。
今でこそ平和な国、にっぽん!である。
臨床では、看とり師なる素晴らしい役割を担う方々が誕生している。同じ死ぬという意味が、戦争という愚かな行為、人が人を殺める行為は、どんな理由があろうと、決して許され、死を簡単に受け入れることはないだろうと感じるのである。
うちの孫らに是非一度、平和祈念資料館には連れて行きたいけど、部活が休めないとのこと。
私も今一度、ひろしま、ながさきの意味と意義を受け止め、祈らせて頂きに行くことを決意し、日々の愛と平和と安寧の祈りをより深めることにした次第です。昨日の機会に感謝です。