お盆で思い出すのは・・・ | やるわよバレエ♪と田舎の暮らし☆

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50代から再開した大人バレエも6年目になりました。
夫くんの定年でUターン田舎暮らしをしています。
(2022年7月)

久々にブログ更新を・・・って思ったら「2年前の今日あなたが書いた記事があります」っていうのが目に入りました。

読んでみてから、ふと

「じゃぁ3年前はどうなんだろ?」

と思って見てみたらこんなでした。

お盆帰省週間

 

今年は義父母の初盆でしたが、夫くんの実家のこの辺りではプチ法事みたいな感じで親戚の皆様を家に呼ぶので、お料理考えたりお返し考えたりとちょっと忙しかった。

そんなお盆も終わってほっと一段落。

 

この先はお盆にちなんでちょっと長~い話です。

 

☆   ☆   ☆

 

子供の頃のお盆のお墓参り、わが家では自分ちのお墓以外にいつも行く場所がありました。

それは仙台の北山輪王寺にある戦没者慰霊碑(だったかな~?名前は定かじゃありません)

 

私の父は終戦間近な7月10日の仙台空襲で家族5人を失くしています。そして遺体は見つからなったそうなのですが、身元不明の遺体はここに埋葬されたらしいのです。

 

父の家は仙台市一番町三丁目という、仙台の街のど真ん中、東京で言ったら銀座三丁目みたいなところにありました。

当時の空襲って、まわりを空爆して逃げ道を失くしてからその中に爆弾を落として皆殺しにするっていう手法だったのですよね。

だから空襲警報が鳴ったときには、もう助かりようがなかったのだと後から知ったそうです。

 

空襲だ!と知ったとき、祖母と兄弟姉妹には

「台原(郊外の山の方)に逃げろ」

と行かせて、祖父と父は家の消火のために残ったそうです。

 

なんでみんなで逃げなかったの?

・・・と、この話を聞いたとき子どもの私は思いましたが、我身の安全よりより家の消火に当たらなくちゃいけないっていう義務があったのだと、大人になってから知りました。

女子供は安全に・・・と逃がしたはずのに、既に逃げ道はなく、逃げた5人はみんな死んでしまい、皮肉なことに逃げなかった二人が生き残りました。

 

祖父と父は、家に残ってみたもののどうにもならず火に囲まれ、あちこちと逃げるうちに小さな空き地に行きついたそうです。

四方から火が迫り、もうここで終わりと死を覚悟したそうですが、幸運なことに四方が一度に燃え上がらず一辺ずつ焼け落ちてくれたので、片側が燃え盛っているときは反対側に身を寄せ、次は反対側に・・・ということを繰り返し九死に一生を得たそうでした。

 

そして翌日以降、逃げたはずの家族を必死に探したけれど見つけることはできなかったそうです。

 

丸焼けになった人たちの中から家族を探す・・・どんな気持ちだったのでしょう?

 

それでもなんとか焼け落ちた家の辺りから見つけたらしい、

 融けたビー玉(弟のものらしい)

 真っ黒に焼けたはさみ(妹のものらしい)

 黒こげのお守り・・・等々数品

小さな箱に大切に箱にしまってあったのを父の死後に見つけました。

見つけられたのはこれだけだった・・・とメモが入っていました。

 

☆   ☆   ☆

 

お盆が過ぎて戦争の話もパタッとなくなって、世の中もまた平常モードに戻りました。

私も平常に戻って明日からまたバレエがんばろう!