タイトルの本を、昨日、代官山の蔦屋で読んできました。

さらっとですが。

 

このタイトルを見た瞬間、ほんまそれ!となってつい手に取ってみたくなり。

 

最初に引用されているのが、泣く子も黙る、ソクラテス先輩。

 

そう、無知の知です。

まず、無知の知について一応触れておくと。

 

ソクラテスが、ソフィスト(弁論家・教養人とでもいうのか)にあらゆる命題に関しての問いかけを続け、

 

その問答を通して実はソフィストらは命題について何ら真理に達していないことを暴きます。

 

「世に言う教養人は自分たちが真理に到達したと信じてやまない。

僕が彼らより優れていることがあるとすれば、『自分がなにも知らない』ということを知っていることにおいてだ」

 

と言いました(たしかこんな感じだった)

 

 

ソクラテスは無知の知で何を伝えたかったか

著者は二つの解釈があると言います。

 

①今ある法則、結論、概念、、、、すべてのものは真理とは限らない。

 常にそれが真理か否かについて考え続けていかなければならない。

 

②「無知」--その状態こそが真理だ

 

まあ、そんなことで、すべてのことは五里霧中ということですな。(まとめ方、、)

 

私としては、解釈パターンはどうでもよくて、

 

「今ある物をすべて疑う」

 

この姿勢に、別に目新しい提言ではないかもしれないけれど、改めて感銘を受けたというか。

タイトルにもある、「人は語り続けるとき、考えていない」って、自分も含め、本当にそうだなというか。

最近自分が周りだったり、自分自身に感じていたこととドンピシャリでした。

 

私新聞記者をしているのですが、

そうなるとやはり、普段の生活は、情報がすべて。

 

FACT!FACT!!!FACT!!!!!

 

こういう、既成事実、現在の状態、これが中心にあるわけです。

 

報道機関として、これは当たり前の話なのかもしれません。

 

日々フローで流していくニュースを扱うなかで、一つ一つの議題を深めていくという視点を持ち続けることは難しい。

 

ただ、会社の人たちは、一つのテーマでどんどん深く掘っていくという視点も大切にしていると随所で言います。

 

ただですね??やっぱり知識!FACT!知識!FACT!トレンド!的に業務をこなす時間が

大部分を占めてしまうことは避けられないことだと思うのです。

 

そして思うのが、思考が止まっている人が多くないか――。ということでして。

知識を知識で返す。深まらない議論。「論破」優先の議論。揚げ足を取って論破を装うテクニック。

そんなものが横行し、探求しているようでできていない。

そんな風に感じてしまいます。

 

 

みなさん新聞記者なので、知識、考え、思考、たどりついた”真理”。

本当に流ちょうに語ってくれます。

 

でも、テンプレ味が強いんですよね。

それで結果を出していることは出しているので、彼らなりの確立された「法則」「真理」なのだとは思います。

そういうものを自分の中で確立することは大切だと思いますし、私も確立したい。

ただ、それをアップデートしているか?と。

 

ある1つのテーマについて、聞いた答えが、半年後も変わっていない

反射的に答えているから、若干かみ合っていないというようなことも多い。

 

 

違う社員に聞いても同じ答えを返されるとか、、、

お前ら、人が言ってたことなんとなく、垂れ流してない?自分でちゃんと考えとるんか???

 

あたかも真理かのようなトーンで早口でまくし立てる。

いつの時代も、どんな場所でもあるあるかもしれませんが、ちょっと残念だなと。

 

これは反面教師で、私も常に向き合わなければならない課題だと思っています。

今は新入社員だから、まだ確立されたものがあまりないけれど、

今後仕事に慣れるにつれて、無自覚に凝り固まってしまうこともあると思うから。

常に問い続けていきたいですよね。

 

そういう意味では、会社の人の岩石のような「真理」も、自分の柔軟性を保つために必要かもしれないなと思う

今日この頃でっした。