柏の宮稲荷神社(東京都杉並区高井戸東1丁目31−43)

*読みは「かしのみや」

 

 

(主祭神)稲荷神(推定)

(社格等)-(横倉家の邸内社)

(沿革等)太田道灌が、柏木左右衛門に命じて、当地に鶴岡八幡宮を分祀(現在の下

     高井戸八幡神社)。江戸時代には当地は「柏之宮」と呼称された。

     大正時代、旧高井戸村正用の事業家横倉善兵衛が、この地を整備して数寄

     屋(「柏ノ宮園」)を建設。文人墨客を招いて歌会、観月会などを開催。
     戦後、当地は旧日本興行銀行が取得し「柏之宮総合グランド」としたが、

     銀行経営不振により杉並区が取得した。2004年に区立柏の宮公園開業。

     「柏の宮稲荷神社」は、「柏ノ宮園」の邸内社として創建され、同園の央

     部に立地していたが、興銀所有後は、敷地の西南部に移転、区立公園の整

     備に伴い現在地に移転した。

(立地等)神田川の北岸の低地から登った武蔵野台地(google mapは文末に掲載)

     上に立地。近隣には、鎌倉橋(旧鎌倉街道が神田川を渡る)や塚山遺跡公

     園(縄文中期の遺跡)がある。元々は山林であったと思われる。

 

(明治42年測量:「今昔マップ」をもとに加筆)

・南側の神田川低地に水田、東の鎌倉街道坂上の集落がある他は目立つものなし。

・神田川からは割と旧な傾斜地であり、現在でも歩くと確認できる。


(現在の杉並区の古地図)

・「柏ノ宮園」の名前が確認でき、また「⛩」が確認できる。現在の区立公園の正面

 入口に近い方にあったらしい。

 

神田川の北岸(低地)から北に向けて傾斜を登る。ここでは頂上に近い。

・(左)住宅街 (右)柏の宮公園

 

パークシティ浜田山の戸建て地区

・「パークシティ浜田山」は、旧「三井浜田山グラウンド」跡地(約8.3ha)に整備さ

 れた環境調和型の高級住宅地(マンションと戸建て)。

・元々は1936年に三井グループの福利厚生施設として発足。日本における総合運動

 場の先駆け、英国庭園の趣をもつ緑豊かなこのグラウンドであった。

・現在は、中古物件で「3-5億円」くらいの模様(ついていけない)

・「浜田山」は駅近隣は庶民的であるが、南側はこうした開発でお金持ち地帯に

 

道を挟んで鎮座する「柏の宮稲荷神社」

・区立公園の敷地外になっている(政教分離を意識したかな)

 

 

 

 

 

狛狐(向かって左)

 

「請負」は読めるので石工の記銘か

 

狛狐(向かって右)

 

安政四年(1855-1860)の銘文

・当神社は、明治以降の創建なのになぜ。横倉氏が地元から移転したのだろうか。

 

柏の宮公園

・北斜面は神田川低地からの上り坂

 

平坦部(武蔵野台地)

・かつて当神社はこのあたりに立地していたのだろう

 

 

林丘亭

・若狭小浜藩酒井家の江戸下屋敷は、現在の新宿区矢来町に相当する。

・その一部を日本興行銀行が取得し、同行「矢来寮」として利用。昭和34年に当地に

 移築。矢来寮の跡地は、みずほ銀行の大規模な社宅(売却予定したかも)。

 

 

 

水田(社会教育用であろう)

 

10月初旬に稲刈りの予定とあった