明治時代の地図をみると、都立大学駅と大岡山駅の間に「鐵飛坂」という興味を引く名前を持った坂道を見つけた。道筋をみると古道らしく、品川道の一部だという。
(歩いた道筋)
・環七通りの南交差点の北側「宮が丘バス停」付近に品川道への分岐がある。目黒南三郵便局が見つけやすい。そこから西に向けて歩く。
・鐵飛坂を下ると呑川をわたり寺郷の坂を登り、岡田家屋敷門前、立源寺を通過、東横線の踏切を渡り、最終的には八雲で目黒通りに合流する。
測量図(明治末期):東半分
・旧「衾村」「字平根」は村の中心部。鐵飛坂を下り呑川(現在は暗渠)の「中里橋」(現存せず)を渡ると、寺郷の坂を登り返す。
緩やかなカーブが古道風
鉄飛坂(てっぴざか)
・呑川中里橋に左岸から下る坂道。
・「てっぺん」を意味する方言「てっぴ」に由来するとする説が有力。
割と急な坂で自転車では登れない
途中、坂上を見上げたところ
鉄飛坂帝釈堂(坂の上、平町二丁目18-13)
・境内には計6基の庚申塔が存在。堂内安置4基は区指定有形文化財(見られない)。
他所より移転してきた庚申塔(青面金剛石造)(詳細不明)
他所より移転してきた道標兼庚申塔(文化7年(1810年)建立)
・「左ハ池上 右ハほりの内」と書かれている
旧中里橋から鉄飛坂(長い坂である)
呑川緑道(中里橋があったはず)
旧中里橋から寺郷の坂、左側は区立中根小学校
測量図(明治末期)(西半分)
・呑川沿いは「中根」(衾村の小字)で「根」は台地の縁部のこと。貝塚もあった。寺郷の坂の上部に代々衾村の名主をつとめた岡田家の屋敷が残る。
・中央部は谷畑。
寺郷の坂
・坂上に立源寺があり、このあたりを「寺郷」と呼んだことに由来
こちらも長い坂
岡田家長屋門
・昔、このあたりは「岡田の森」と呼ばれた。岡田家は代々衾村の名主をつとめた旧家で、風格のある母屋と長屋門は江戸時代につくられた(個人宅であり内部は非公開)
・岡田家は大岡山の大地主であったという。
目黒区立中津公園
・岡田家屋敷の裏側にあたる。かつての「岡田の森」の一部。
立源寺
・寛永元年(1624)日運上人が開基。日蓮宗の寺院(元は碑文谷法華寺の末寺)。
・元禄11年(1698)に法華寺が不受不施派と認定され幕府から弾圧され天台宗に改宗後は、身延山久遠寺の末寺となり今日に至る。本堂安置「木造三宝尊像」(区指定有形文化財)は旧法華寺が移転してきたもの。
東横線の踏切
相鉄の車両も通過
目黒通り(八雲三丁目)に合流
交差点脇の庚申塔(詳細不明)






























