下祖師谷7つの庚申塔

 

・旧下祖師谷村では「七庚申」があり、現在も祖師谷商店街では3月に庚申祭を開催。

・村境や橋、主要神社などに設置されている。

・参考文献は次のとおり

①「ふるさと世田谷を語る 祖師谷・成城・喜多見」(世田谷区)

②商店街の庚申祭のポスター(かつての位置を記す場合が2か所ある)

③「世田谷の庚申塔」(1985)(世田谷区教育委員会 世田谷区石造遺物調査報告書2)

・銘文等は、判読困難な場合が多く、資料から引用した。

 

(位置)〇は存在、×は旧所在地(推定)

・下祖師谷村の中心はこのあたりであったが、戦後、小田急線沿いに重点が移動した

 

1.塚戸十字路(世田谷区千歳台2丁目46−13)

 

(場所)祖師谷通りと千歳通りの交差点、旧廻沢村の境

(形式)山状角柱型三猿

(造立)享和二年(1802)

(銘文)北高井戸 南二子道 西府中道 東青山道 

 

塚戸十字路(右上部に”ウルトラマン”が飛行中)

 

 

 

隙間から「南二子」が読めた

 

背面の説明版

 

 

2.旧熊野神社境内(世田谷区祖師谷6丁目5)

 

(場所)旧熊野神社境内の南東角
(形式)駒形青面金剛三猿
(造立)享保四年(1719)
(銘文)下祖師谷講中 

(備考)世田谷の庚申塔(1985)の調査時点では2体あった

 

熊野神社境内の庚申堂

 

庚申塔(銘文等は摩耗で消えている)

 

 

3.下祖師谷神明社境内(世田谷区祖師谷5丁目1−7)

 

(場所)下祖師谷神明社境内の東側
(形式)駒形青面金剛日月三猿
(造立)安永六年(1777)
(銘文)奉供養庚申講中二世安楽 施主 武州多摩郡祖師谷村加賀美他(判読難)

 

 

4.下祖師谷庚申塚(世田谷区祖師谷2丁目3)

 

(場所)祖師谷ウルトラマン商店街(庚申通り)に面した場所にある
(形式)板状駒型安楽金剛日月三猿
(造立)元文元年(1736)
(銘文)奉造立供養庚申為講中衆二世安楽也

(備考)元は大塚・中塚・小塚の3つの塚があったという。

(商店街の通りから)

 

 

 

 

5.大橋場(世田谷区祖師谷4丁目36あたり)

 

(場所)かつて「大橋場」(=仙川に架かる大石橋の袂)にあったというが、その後の行方は不明。区教委調査(1985報告書)は本件は未掲載。近隣の観音堂に石塔群の中に、「ふるさとせたがやを語る祖師谷・成城・喜多見」が示す大橋場の庚申塔の特徴と概ね一致する石橋供養塔がある。

 

<以下は「ふるさとせたがやを語る祖師谷・成城・喜多見」による>
(形式)角柱駒型
(造立)戊辰(該当し得るのは元禄元年又は寛永元年)

→石橋供養塔には「享和二年(1802)二月」の銘が判読可能できるため相違。
(銘文)貞心法師 東世田谷道 西ふちう道

→各面の「貞心法師」「東世田ヶ谷道」「西 ふちう道」「南 二子道」は判読可能で一致

 

*大石橋の袂にあった石橋供養塔を近隣の観音堂に移設したのであろう。但し、これは庚申塔なのか不明。元々は庚申塔と石橋供養塔が併存していたが、庚申塔は失われ、石橋供養塔だけが残ったと考えるべきか。「戊辰」の銘については何かの混同か。

 

観音堂内の石橋供養塔

 

左側が本石塔で「西 ふちゅう道」が読める

 

大石橋の袂はこのあたりであろう

 

謎の空地。ここに庚申塔があったと言われれば納得する。

 

 

6.祖師谷観世音堂境内(世田谷区成城9丁目1−6)

 

(場所)祖師谷観音堂の境内左に石塔石仏が集められている
(形式)板碑型
(造立)元禄十三年(1700)
(銘文)奉造立庚申供養青面金剛尊像一体敬 施主下祖師谷村講衆二十六人

 

 

祖師谷観音堂境内(正面:観音堂、左:薬師堂)

 

太石橋で仙川を渡り、西台への登り坂(右が観音堂)

 

 

7.西台十字路(世田谷区成城7丁目33あたり) 

 

(場所)かつて西台十字路にあったという庚申塔は、現在は観音寺境内に移設されているものと特徴が一致する。西台は大石橋を渡った先の台地西側台(現在は成城)。西台十字路は資料や古地図からたぶんここ。現況は住宅街の狭い路地。

<以下は「ふるさとせたがやを語る祖師谷・成城・喜多見」による>

(形式)山状角柱型
(造立)寛政三年(1791)
(銘文)北高井戸道  南登戸道 西府中道  施主祖師谷村 石井三郎衛  加賀美惣兵衛

 

観音堂境内の庚申塔のうち特徴が一致するもの

・右下に「南登戸道」が読める

 

商店街ポスターはこの南西角を示す。意味あり気な石があった。

 

庚申祭の主催者に聞いてみればわかりそうだが、そこまでしなくていいか。