天照皇大神(川崎市幸区南加瀬1-2-2)
(主祭神)
天照大神、撞榊厳魂天疎向津姫命、天満大自在天神、誉田別命、市杵島姫命、白山比咩命、第六天神、石神
(社格等)
ー(風土記稿に南加瀬村の鎮守の記述はなし)
(沿革等)
創建年代不詳。戦国時代には小田原北条氏の祈願所となり、また北条氏政(1538-1590)が当神社に加えて歯救山(白山)神社を勧請したが、その後の戦乱で記録を含めて社殿は灰燼に帰したという。天保8年(1837)に社殿を再建。大正4年(1915)、村内の無格社5社を合祀。
*新編武蔵風土記稿「南加瀬村」(抜粋)→旧社地について末尾参照
【八幡社】夢見ヶ崎の邊小名山崎にあり、南向の小祠鎮座の初を失へり、村持。
【神明社】北の方村境加瀬山にあり、鎮座の始を傳へず、社前に拝殿あり二間に二間半前に鳥居あり、社前に石階あり高さ六丈にあまれり、山の麓は打ひらけたる平田なれば、この階の中ばより安房上総の山々、久良岐本牧十二天の邊を見おろし、眼界殊に濶し。相傳ふ本社建し所の土中に石櫃などありて年久しきことなれば其破壊せし方片石を得たるにや定かならず。
【辨天社】前にいへる神明の山續き西の方にあり、石の小祠なり村持。
【白山社】前の祠辨天社の山につづきてあり小祠にて是も村持。
【第六天社】是も白山の並びにあり、石にて作れる小祠なり、村持。
【石神社】西方の田間にあり、村持。
(立地等)
天正年間(戦国末期)に加瀬村は南北に分かれた。
当神社は「夢見ヶ崎」の西、加瀬台古墳群の第7号墳(円墳)上に鎮座。
夢見が崎(加瀬台・加瀬山)は、川崎市幸区にあり、多摩川と鶴見川に挟まれた小高い丘(台地)で近くを鎌倉街道が走る。太田道灌(1432-1486)が築城を検討し夜営すると「一羽の白い鷲が兜を掴んで南西の地へ去ってしまった」という夢を見て不吉だと感じ築城を断念したと伝わる。
(国土地理院地図)
国土地理院陰影起伏図
・夢見が崎(赤)
・鶴見川・矢上川、JR横須賀線・湘南新宿ライン、多摩川
新川崎駅付近の跨線橋地近くからの夢見が崎
夢見ヶ崎動物公園児童遊園の展望スペース(一番左が大山、富士山右側に蛭ヶ岳等)
社号碑
社号碑には台地下からの石段の参道が伸びる
・「社前に石階あり高さ六丈(≒18m)にあまれり」(風土記稿)は、上段とこの下段を含めてのことであろう。
古墳上の鎮座していることがよくわかる
社殿(1837年に本殿及拝殿を再建、1884年に拝殿を改築)
石像の神像
・このあたりの神社ではこの種の神像が割とよく見られる
境内社 (浅間神社、弁才天社、石神社、三峯神社、稲荷社)
「大弁財天」
「天明九酉年正月吉日」(1789年)
・天明9年は1月25日に改元し寛政元年となる。
台地中央部(神社裏側)の鳥居
古墳を登る
(末尾)
加瀬台古墳群の案内板
迅速測量図(明治初中期)
・左から、白山社(白山古墳位置から推定)、弁天社(風土記稿記述から推定、8号墳)、天照皇大神(第7号墳)、熊野神社(6号墳西側)。
明治39年測量図
・夢見が崎の東に字「山崎」とあり、風土記稿の八幡社の記述に一致する。


















