土橋神社(川崎市宮前区土橋1-10-2)

 

 

(主祭神)

大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)=天照大神(日本書紀)

 

(社格等)

―(土橋村の鎮守)

 

(沿革等)

母体となる太神宮(通称:神明宮)は、創建年代等は、不詳だが、寛文年間以前に遡るという。旧社地は(字)竹芝で、風土記稿は「村の北にて字大野原と村境の山間にあり、それより二町許を下りて木の鳥居を建、村の鎮守なり・・・・・正福寺持」と記す。

明治40年に、神明宮を中心に、八幡、八雲、稲荷2社、荒神、御嶽2社、神明、三嶋の計10社を合祀により、八雲社の社地をもって土橋神社が成立した。

*主な合祀神社(同地区の鎮守)の概要

(村の北)大神宮:土橋神社の母体、旧社地は「竹芝」(現在は変電所)

(村の西)御嶽社:字牢場谷の丘上にあり、稲荷を相殿、正福寺持

(村の東)八幡宮:馬絹村との境界地、両村1社あった(現在の小台八幡神社)

(村の南)神明社:詳細不明

(村中央)稲荷社:正福寺持

*八雲神社の詳細は不明。風土記稿の「大六天神社」が八雲神社に改称した可能性については、大六天遺跡(消滅:土橋2-14土橋保育園付近)と場所が一致しない。


(立地等)

土橋村は、矢上川の谷沿いに形成された村で、天正年間に北の平村から分村。北東側の宮崎の一部は旧土橋村だが昭和15年に軍用地として徴用、返還後は大字宮崎。戦前は矢上川沿い以外は寒村であったが、戦後の宅地開発により様変わりし、風土記稿時代の神社は大方失われいる。

「土橋」とは、頼朝が鎌倉古道(中道支線)と矢上川が交差点にかけた橋に由来するという。風土記稿の頃、矢上川は「溝」レベルで橋も小さいものであったという。

 

国土地理院地図

・土橋7丁目の日本郵政舎宅(跡?)に大神宮が立地していたと推測される。当時の参道を赤線で示すと公園が入口となる。

 

迅速測量図(明治初中期)

・土橋において神社マークはここだけ。風土記稿の記述にピタリとあう(参道など)


 

矢上川からの急崖を登る石段

 

 

境内から南の展望

 

社殿(昭和48年新築)

 

 

 

社殿横に境内社や石祠が集められている

・(中央)蚕影尊(1894年建立)、土橋は養蚕が盛んな地域であった。

・石祠は被合祀社のものと推測されるが、銘文などは消えていた。

 

現在の土橋神社の場所=大神宮の場所と前提としているのではないかという記事が少なくなかったが、風土記稿の記述とあわず、明治時代の地図ともあわない。当地区のガイドブックに八雲神社への移転などの記載があったので、本文の如く解釈した。