宿河原八幡宮(川崎市多摩区宿河原3-21-7)

 

 

(主祭神)

応神天皇

 

(社格等)

―(宿河原村の鎮守)

 

(沿革等)

創建年代等不詳。元の社地は多摩川北岸にあったが、洪水によると考えられる流路変更により社地は流出。常照寺の観音堂を同寺境内に移転した跡地に当神社を再建。別当は常照寺(真言宗豊山派寺院、創建は15世紀後半と見られる)。


*新編武蔵風土記稿の該当箇所
(宿河原村)正八幡宮
村の中央字北村の内観音堂地内にあり、もと社地五畝六歩多磨川北岸に在しが、川瀬北に移りて悉く流失せり、故に観音堂を常照寺境内に移してしばらく其跡へ社を建、村の鎮守なり、大さ三間に二間の社にして艮向なり、神體は弓箭を把て馬に跨りし容にて長五寸許、例祭は九月廿八日なり、勧請の年代を傳へず、常照寺の持なり。

 

(立地等)

当神社は、JR南武線宿河原駅から二ヶ領用水(宿河原用水)の越えた場所に立地。

18世紀後期までの旧社地は、二ヶ領用水の八幡下橋(現在・矢印)付近であった。

16世紀末(1590年の多摩川大洪水)から18世紀末(一説には寛政期)の間の多摩川は、現在の二ヶ領用水(宿河原用水)あたりを流路としており、当神社の旧社地あたりに取水口があった。

当神社の西側は常照寺の境内が広がり、その西端に稲荷社(祠)があるがこれは風土記稿に記載されている稲荷社ではないか(後述)。

 

(国土地理院地図)

 

(明治39年測量図)

当神社のあたりの地名「北村」(風土記稿)が残っている。西側が宿河原本村ともども多摩川の自然堤防上にあると考えられる。多摩川旧流路の内側(現:宿河原4丁目)が微高地で桑畑と果樹園に利用されている

 

境内(前面道路、北側から)

・境内横に宿河原会館があり、宿河原の中心地であったこと名残であろう。

 

社号碑「鎮守 八幡宮」

 

社殿

 

 

 

 

手水舎(明治14年)

 

願主の姓が宿河原土地改良事業の石碑や宿河原浅間神社での石祠にも出てくる。

 

この裏側に水路が流れている

 

神社裏側の北側の水路

・二ヶ領本川から分岐してきた流れ。生産緑地の倉庫の廃墟館がなんとも言えない。

 

稲荷社(川崎市多摩区宿河原2丁目24)

・新編武蔵風土記稿に「稲荷社  字北村にあり  小祠なり  常照寺持」とあり、これに相当すると思われる神社。左側は宿河原幼稚園。 

 

由緒にかかるものは見当たらず

 

近年、宿河原の旧家で発見されたこのあたりの地図(18世紀後半作成)。

 

手前が南