登戸稲荷社(川崎市多摩区登戸2297)

 

 

(主祭神)

宇賀魂大神

 

(社格等)

―(登戸村小名東耕地の鎮守)

 

(沿革等)

創建年代不詳。武田氏家臣小荷駄奉行(兵站担当)の吉沢兵庫が当地で帰農した際に邸内鎮守として創祀(鎮座地は現在よりも北、登戸新町あたりとの説もある)。
1590年(天正18)の多摩川の洪水により社殿流失。時期不明だが中村(地名)に遷座し再建。その後、嵐により鳥居(寛政6年銘(1794))及び社殿も大損害を受けたため、1853年に現社殿を再建したという。
 

(立地等)

登戸は多摩川低地から生田丘陵への登り口という意味だとする説がある。江戸期は津久井道(登戸の渡)と府中街道の要衝に形成された宿場(非公式)と農村であった。

新編武蔵風土記稿は、永禄年間(1558-70)の小田原家人所領役帳に「多波川北駒井登戸」とあり登戸が多摩川の北側にあったこと、一方で、風土記稿(完成1830年)の時点では登戸が多摩川の南側にあることを記載する。

 

(国土地理院地図)

・当神社は、現在、世田谷通りと南武線の交差する南西側に立地。周囲は宅地化されているが、旧家の農園や寺院が集中する昔ながらの風景も残る。

 

(明治39年測量図)

・登戸村は、多摩川低地の水田と複雑な流路により形成された自然堤防上の集落で構成。津久井道は「登戸渡」から河川敷、自然堤防上の集落を通過し生田緑地に登る。

・当社「稲荷社」は「登戸中村」の「渡」からの畑道沿いにある。直上の土手(黄色:堤防)。北側(現在は中野島)は土手がない(自然堤防のみ)。

*多摩川の旧流路

・1590年以前:二ヶ領用水本流(左下上)あたりを流れていた

・17世紀から18世紀:登戸より北側は現流路だが、登戸川原-土手―稲荷社の東で内陸へ→二ヶ領用水あたり→富士塚→現在の宿河原駅の東で現流路に戻る

・18世紀後半から末:現流路に収束か(このあたり、宿河原八幡宮で触れる)

 

境内と参道

 

社殿(1853年(嘉永六年)、1953年瓦葺(←茅葺))

・社殿の周囲には、芸術的な彫刻と漆喰壁に描かれた「鏝絵(こてえ)」が残る。

・登戸は左官職人の街として有名であった。

 

 

 

 

 

 

社殿(横から)

・本殿覆屋に漆喰彫刻(関東大震災の被災により主に東西面に残る)

 

 


鳥居前の「幟立て」

・柱に「天保十五年」(1845)の銘があるが、新しいものに見えた。

・調べると平成21年に再建されたもので、先代の銘を引き継いだものらしい。

 

 

狛犬と石灯篭(鳥居の左右)

 

 

狛犬(狐)(明治32年造立(1899年))

 

 

石灯篭(万延元年(1860年)

 

 

「万延元(庚申)八月再建立」の銘