勝淵神社(三鷹市新川3-20-17)

 

 

(主祭神)

    「弥都波能売神(みづはめのかみ 水波能売命)
      記紀神話でイザナミから生まれる代表的な水神   

 

(社格等)

    旧村社(上仙川村本村の鎮守)

 

(沿革等)

 柴田勝重(柴田勝家の孫)が、関ケ原及び大阪冬・夏の陣で徳川側で戦功をあげ、

 上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)を知行地として加増。現在の島屋敷に居

 館を構えた際、旧来の勝淵(現在の丸池か)の水神および柴田勝家の兜を納めその

 霊を祭るため社殿を建立し創建。

 

 *勝重は、勝家滅亡後、北ノ庄城から上野国の外祖父日根野高吉の元に落ち延び

    た。1599年に徳川家康が召し出し、上野国に知行地二千石を与えられた。戦功

      により知 行地拡大。幕府旗本。1632年に54歳没。上仙川村春清寺に埋葬。墓は

  宝篋印塔で現存。柴田家領地は1698年に三河に移転(勝淵神社も岡崎市に移転)。

     *島屋敷は、現在、UR新川住宅となっている。居館等の明確な遺構は未発見.


(立地等)

     浅い谷である仙川と武蔵台地の縁に鎮座

 (大正6年測量図)

 ・勝淵神社の南に湧水池が明示され、仙川がこの水源であることは明確

 ・丸池より上流の仙川の流れは少なかったものとみられる。

 

(現在の地図)

 ・「新川団地」あたりが「島屋敷」。

 

勝淵神社由来の石碑

 

鳥居

 

社殿

 

兜塚(社殿向かって右側奥)

・戦前・戦中は、「武神」としての性格のある柴田勝家に対する信仰が盛んであった

 という。戦後は兜塚は荒廃したが、1988年に同神社氏子会によって兜塚が再興。
・「柴田勝家兜埋納伝承地」として三鷹市の史跡に登録。

 

 

三鷹市立公園「丸池の里」

 

 

現在の丸池(かつての「勝淵」と呼ばれた)

・かつては豊富な水量のある湧水池であり、仙川の主要な水源であった。

・しかし、周辺の宅地化などから昭和40年代に埋め立てられた。

・平成12年に市民参加の元でプランをつくり公園として再整備した。

 

 

現在の水源

 

地下水のくみ上げポンプとみられる