コースを示したgoogle mapは末尾参照

 

不動通りの入り口

・東京オペラシティの北、山手通り沿いにある「ふどう通り商店街」入口

 

明治42年測量図

・(南)甲州街道、(中央)不動通り、(北)国府道

・甲州街道と不動通りの中間の水路は「玉川上水新水路」

・不動通りは、山手通りの整備前は甲州街道から分岐していた。甲州街道分岐から国

 府道に至る道は「大宮横丁」と呼称されていた(国府道経由で大宮八幡に至る)。

・甲州街道分岐点(現在は東京オペラシティ)の「長楽寺」は、1620年創建、徳川

 将軍家との縁が深い寺院であったが1945年に戦災で堂宇が焼失、1959年に多摩セ

 ンター駅近くの丘陵地に移転。

 

荘厳寺(渋谷区本町2-44-3)

・真言宗室生寺派 光明山真言院荘厳寺(通称:幡ヶ谷不動尊)

・16世紀開山・創建。幡ヶ谷氷川神社の旧別当寺。
・昭和20年の空襲により全ての堂宇(本堂・不動堂・大師堂)を焼失。但し、薬師

 如来像、不動明王像、弘法大師像は難を逃れた。

 

(右)不動堂 (左奥)本堂

 

不動堂(幡ヶ谷不動尊)

・本尊の不動明王は、智證大師円珍(三井寺の開祖)が自ら彫刻したものと言われ、

 延享4年(1747年)に三光院(東大和市)から荘厳寺に遷祀。

・古くは江戸近郷の三不動(成田山、光明山、高幡山)の一つ(『江戸名所図会』)

・寺前の道は「不動通り」として、古くから不動尊への参道としてにぎわった。

 

荘厳寺の門

 

狛犬(1753年建立)

・迫力のある狛犬らしい狛犬、案外、こういうのは見ない

 

 

荘厳寺(本堂)

・旧本堂は戦災で焼失。戦後、他より本堂を移築しし、本尊ほか3像を祀る。

 

 

馬頭観音(不動明王とするサイトもあるが、一応、馬の顔があるような)

 

水盤

 

「宝暦」は読める。宝暦年間(1751-64)。

 

 

常夜灯(渋谷区指定有形文化財) *境内入口に展示
・現在は荘厳時の門内左手に設置。昔は甲州街道からの分岐点にあった。
・嘉永3年(1850)建立。台石中段には幡ヶ谷の荘厳寺、十二社の熊野神社、大宮八

 幡宮、井の頭弁財天への道のりを記す。

 

常夜灯と東京オペラシティの高層ビル

 

 

境内からの東京オペラシティの高層ビル

 

境内前のふどう通り商店街(もう少し先が下町風の商店街になる)

・不動通りが江戸時代中期以降にあたことは確実であるが、それ以前は不明。幡ヶ谷

 本村の中心は氷川神社付近にあったが甲州街道の開設によって甲州街道沿いに移転

 してきたことなどからすると、江戸初期から自然と形成された道だろうか。

 

商店街を抜けたあたりの「純喫茶 車」(開業してるのだろうか)

 

純喫茶あたりから下り坂

 

児童センター前の交差点(5差路)

・かつては右の直角カーブのみ。かつて、直進は、地蔵窪の水田。

・ここは和泉川支流(地蔵窪)に近い場所

 

右折した道が、幡ヶ谷氷川神社へ向かう古道(荘厳時は幡ヶ谷氷川神社の別当寺)

・こちらが古くからの交差点

 

台地に戻る途中、大善寺近くから振り返る

 

左から六号商店街と交差

・「6号」は、玉川上水新水路に掛かっていた橋の番号を示す

 

和泉川沿いの古い道。独特のゆるやかカーブが心地よい。

 

中幡庚申塔

 

幡ヶ谷第三公園

・前面道路が水道道路。土手は、玉川上水新水路の築堤跡と思われる

 

笹塚隧道は撤去され平面化

 

清岸寺参道入口の石仏3体
・甲州街道に面していた法界寺の参道にあったもの。

・明治42年、清岸寺が代々木から、廃寺同然となった法界寺を吸収して当地移転。

 

庚申塔(青面金剛像)

 

首部が欠損した地蔵尊坐像(推定)

 

半跏思惟如意輪観音像