荻窪八幡神社(杉並区上荻4-19-2)
(主祭神)応神天皇
(社格等)旧村社(旧上荻窪村鎮守)
(沿革等)寛平年間(889-898)の創建(伝)。いわゆる源頼義による奥州征伐の戦勝
祈願などの伝説も残る。1477年、太田道灌が石神井城(豊島泰経)を攻
める際にも戦勝を祈願。別当は松永山大泉院(本山派修験道)。本殿は
1895年、拝殿は1936年に造営。
(立地等)善福寺川左岸(北岸)から斜面を登った青梅街道沿いに鎮座。武蔵野台地
上。明治末期の地図では善福寺川斜面の半分は水田。台地上は街道沿いの
集落と樹林。
大鳥居
境内は、結構広く、静寂で穏やかな空気に包まれている
二の鳥居
神門(昭和42年造営・総ヒノキ造)
手水舎(昭和28年)狛犬の口が吐水口
拝殿(昭和11年新築・平成8年屋替)
御神木:道潅槇(杉並区天然記念物)
・上杉定政(関東官領・武蔵領主)に対し、家臣の長尾景春、豊島泰経(石神井城
主)らが反逆。上杉定政は太田道灌(江戸城主)に出陣を命じた。
・1477年、道潅軍は平塚城を攻略後、石神井城に進撃、江戸城に向かう豊島軍と遭
遇し「江古田の合戦」に及ぶが道潅軍が勝利。
・道潅軍が石神井城攻撃を前に、道灌は当社で戦勝祈願し槇を植樹(道潅槇)。
・元は一根二幹であったが1934年の暴風雨で一幹折損し一幹となった。樹齢500年。
荻窪白山神社(杉並区上荻1-21-7)
(主祭神)伊邪那美命
(社格等)-(旧下荻窪村鎮守)
(沿革等)文明年間(1469-1486)、上杉顕定(関東管領)の家臣中田加賀守が、屋
敷内に五社権現社を奉斎、後に中田一族が栄えここに社殿を造営。
上杉家文書(1451)に下荻窪村が中世に村を形成していたこと記述があ
り、荻窪3丁目33番から宝徳(1449-1452)頃の板碑が発見されている
昭和42年環状八号線拡張に伴い社殿等の増改修築が行われた。
(立地等)荻窪駅の北西で環八の東側に立地。旧図をみると南を東西に流れる善福寺
川の支流(谷戸)が北に入り込み、その東側の縁の台地に立地。周辺は中
世から村落があった。
(その他)歯の神様
歯痛に悩む中田加賀守の弟に「境内の萩を箸として使え」との神のお告げがあ
り、 これに従うと不思議に歯の痛みが止まった。これが広まり参拝者が増加。
1967年、社殿工事で古い社殿の長押から萩の箸が山のように出てきた。
一の鳥居
二の鳥居(道を挟んで)
御神木
珠猫の手水鉢
・1967年改築の際に十二支の瓦が奉納された。神主が「仲間はずれは可哀想」と猫
の石像を設置。2011年の震災で十二支の瓦は全部割れたが猫の石像は残った。
・その後、石の猫を境内のあちこちに設置している。
拝殿
















