神明天祖神社(杉並区南荻窪2-37-22)
(主祭神)天照皇太神
(社格等)無格社(旧上荻窪村の鎮守)
(沿革等)創建年代不詳。戦国期に伊賀の農民が移住・開拓し伊勢大明神を祀ったの
     が始まりとも。記録としては1584年検地で小社の存在が初出。江戸時代
     に紀州徳川家の領地となり家臣水刀谷(景賢)氏が再建。さらに荒廃後、

     1827年に地元百姓らが修復。明治維新後に荻窪八幡神社の境外摂社に。
(立地等)参道前の「神明」交差点は、当地の旧地名が由来。善福寺川の南、五日市
     街道の北の中間点に位置し、武蔵野台地の典型のような平坦な地形。かな
     り広い境内と鎮守の森を有する。周囲は良好な住宅街が広がる(元々、水
     田はなく、雑木林と畑など)。代表的な住宅地の地価は75万円/㎡。

 

 

(注)水戸谷(水刀谷)氏 *読み「みとやつ」らしい

・戦国時代の千葉氏の仕えた武士。千葉氏一門の牛尾氏と縁組し水戸谷城に拠った。

・1590年豊臣勢に敗走し荻久保村に隠棲・土着。「井川」改姓(当地に続く様子)

・水戸谷上は廃城。水戸谷城址の碑(千葉県香取郡多古町水戸1023)が残る。
 

 

社号碑(荻窪八幡摂社 天祖神社)

 

大鳥居

・長い参道と手入れされた木々が気持よい

 

 

社殿

・当社と同一土地区画(大規模)の半分近くは杉並区立神明中学校

・神明中学校は社殿の裏側。参拝時は改築工事中で、重機が稼働中であった。

 

 

大宮前春日神社(杉並区宮前3-1-2)

(主祭神)武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売命

(社格等)旧村社(旧大宮前新田の鎮守)

(沿革等)万治年間(1658-1660)、大宮前新田の開村にあたり鎮守として、名主(幕府の茅狩場野守)井口八郎右衛門と慈宏寺(隣に現存)により創建。

(立地等)五日市街道沿い。武蔵野台地の平坦地の未開墾地。江戸初期は幕府の茅刈場であり茅刈禁止地区。明暦の大火後、市街地の茅葺屋根が禁止され茅刈場も不要となった。そこで玉川上水から引水して農地を開拓したのが大宮前新田(畑作)。
 

 

 

 

 

石造りの大神鹿一双(明治27年奉納)、小鹿一双(明治33年奉納)

 

 

境内は広い

 

拝殿(明治10年造立)、本殿(明治21年造立)

 

 

久我山稲荷神社(杉並区久我山3-37-14)

(主祭神)保食命(うけもちのかみ)

     「日本書紀」(神産みの段)で言及される女神。月夜見尊をもてなそうとし

     て、吐き出した食べ物を提供したため、斬り殺された。天照大神は怒り、

     月夜見尊とはもう会わないといい、以後、昼と夜がわかれた。保食神の屍

     から様々な食べ物が生まれた(食物起源神話)。同じ食物神である宇迦之

     御魂神とも同一視され、稲荷神社に祀られることがある。

(社格等)旧村社(旧久我山村鎮守)

(沿革等)創建年代不詳。

(立地等)「久我山」は武蔵野台地と神田川が削った低地で構成される土地。当社

     は、低地から斜面をのぼるように参道があり、台地上に鎮座。

 

 

 

 

境内は割と広い

 

 

社殿