JR拝島駅下車後、20分ほど歩いて睦橋に戻り、再出発した。左岸を歩く。

 

睦橋(上流より)

 

やっと50kmまで来た

 

JR五日市線 多摩川橋梁

・自然がいっぱいの中での鉄橋は割と絵になる

 

石浜(または牛浜)渡津跡の碑

・「渡津」は「としん」と読み「渡し場」の意味。「石浜」or「牛浜」説がある。

・ かつて五日市街道の“牛浜の渡し”が あった。「牛浜」か「石浜」か説が分かれる。

・「武蔵野合戦」で新田義貞に敗れた足利尊氏が 石浜に逃れたという伝説がある。

 

田村分水放流口

・福生村名主の田村家(福生の田村酒造)の尽力による玉川上水からの分水。
・水車を回すほか多目的の用水(なお、酒造りは地下水のようです)。

 

多摩橋(202m)

・福生市 - あきる野市を架橋(五日市街道)
・かつては牛浜の渡しがあった。1925年に完成するが戦後流出、1970年完成

 

永田橋(244m)

・福生市とあきる野市を架橋(永田橋通り)。

 

羽村大橋(547m)

・あきる野市と羽村市を架橋。1974年完成、2016年拡幅。

・ここへ来て、かなり長い橋である。

 

 

羽村取水堰

・玉川上水の取水口で有名。玉川上水は2021年11月にblogにあげている。

・正面が可動堰で、右の方向に玉川上水に流入していく。右側から流出水は余剰分

 

内側から見た様子で、手前に玉川上水がある

 

ここから玉川上水

 

(参考)玉川上水

・江戸市中への上水道のひとつ。羽村から四谷まで高低差92m、全長42.74km。

・現在の上水道の水源として利用。最終的には東村山浄水場に大半が流されるので、

途中からは水量が少なくなる(なので、太宰治が入水した地点で「これで死ねる?」という疑問が浮かんでしまう。

 

自然の中を流れる多摩川

 

ここまで来ると、誰もいない

 

大正土手・一本杉

・この一帯は、根搦前 といい、羽村市唯一の水田地帯。かつて洪水で田畑が水没したことから、東京市が本格的な護岸工事を行い大正時代に完成した。工事以前から「一本杉」が存在。近年になり落雷にあい、現在は二代目。 

・結構、厳しい地域だったのだろうなあ、と思う。

 

 

阿蘇神社

(鎮座地)羽村市、多摩川左岸の崖上
(祭神)健磐龍命、阿蘇都彦命、速瓶玉命ほか阿蘇十二神
(創建)601年。933年平将門が社殿造営、940年藤原秀郷が平将門鎮魂のため修復
(備考)自転車お守りの頒布、多摩川サイクリングコースの上流側起点(終点)


南参道(サイクリングコースの起終点)

 

なかなかワイルドで、小さい虫に襲われる

 

一の鳥居

・結構、幽玄な雰囲気のある神社

 

 

 

拝殿(中に、都重文の本殿が収納されえているらしい)

 

境内から多摩川を展望。こういう立地ってあまり見ないと思う。

 

奥が多摩川

 

東参道の大鳥居。こちらからいけば虫の攻撃がない

 

阿蘇神社を過ぎると、多摩川沿いを辿れる道はなくなる。

 

多摩川橋(114m)

・羽村市 - 青梅市を架橋(吉野街道)。架橋以前は「小作の渡し」があった。
・橋長が多分短くなり上流に来た感じを受けた。

 

小作取水関(多摩川橋上から下流を見て)

・羽村取水堰の上流約2kmに位置し、山口貯水池へ原水を導水(最終的には東村山浄水場に送られる)。1980年完成。

 

国道411号(吉野街道)を歩く。

 

調布橋(113m)

・青梅市内の千ケ瀬町 -と上長渕を架橋(秋川街道)

 

中下流域とは違う多摩川の様子

 

万年橋(橋長93m)→100mを下回った

・青梅市内の畑中一丁目と大柳町を架橋(国道411号)。

 

下流を展望。「亀の井ホテル青梅(旧かんぽの宿青梅)」が目立つ。

・郵政民営化施策の中でも先延ばしされていた「かんぽの宿」は、2020年代に入り外部に売却された。米国のディストレス投資会社(現在はソフトバンクがメインスポンサー)が取得して、運営はマイステイズ・ホテル・マネジメント。

・こんな立派なもの建てては採算はとれないよね。

 

現在の橋は三代目

 

このあと、青梅駅まで歩く。青梅駅は河岸段丘上にあるため、急な登り。

奥多摩駅まであと20kmくらい。中途半端な距離になった。