大師線の小島新田駅→多摩川河口標柱→(戻る)→多摩川スカイブリッジ→ガス橋→下丸子駅
京浜急行大師線の終点。多摩川河口の湿地帯を江戸時代に小島六左衛門による新田開発で生まれた干拓地。戦後は京浜工業地帯の一部に。現在はマンション建設が活発化している。川崎側からの多摩川スカイブリッジへの最寄り駅でもある。
多摩川右岸の歩道を進むと、スカイブリッジと羽田空港が見えてくる。
ちなみに、河川管理の用語では、左岸と右岸は下流に向かっての基準であり、また堤内と堤外は、住宅街など守るべき土地が「堤内」であり、いわゆる河原は堤外。
多摩川スカイブリッジ(橋長674m)
・川崎市川崎区(キングスカイフロント)と東京都大田区羽田空港二丁目を架橋
・実質は羽田空港連絡道路、多摩川の橋としては最も下流に位置している。
多摩川の末端で徒歩で到達可能な場所は、多摩川河口水位観測所。その手前には設置者不明の標柱がある(ちょうど、ヨドバシカメラの物流センターの川側にあたる)。
(右奥)観測所 (左下)標柱
多摩川スカイブリッジを渡り左岸を歩いた。振り向いてスカイブリッジ方面。
有名な穴守稲荷の旧一の大鳥居
・戦前の穴守稲荷は、鈴木新田(江戸時代の開墾)、後の羽田空港(現在のB滑走路と旧ターミナルビル)にあった。
・戦後GHQにより、穴守稲荷の本体は、海老取川の西側(現在鎮座地)に移転したが、大鳥居は頑丈であり移転困難なため駐車場内に放置された。
・1999年、羽田沖合展開工事が進む中で、南側800Mの弁天橋付近に移転した。なお、移転工事費の公共負担の関係もあり、無宗教化されている。
羽田多摩川弁財天
・弁財天は、元々鈴木新田にあったが、GHQに強制移転させられた。
・左側の「水神社」が元々鎮座していたが、現在は弁財天がメイン化している。
大師橋(橋長550m)
・このあたりまでは、羽田の漁村的な雰囲気が若干残る。
羽田の渡し
・川崎大師と穴守稲荷の参拝のための要路
・「小島六左衛門組」が運営。小島新田開発は小島六郎左衛門なので一族か。
・当時の川幅は80m程度。渡し船は、20~30人の大型船。
今回歩いていて、多摩川に多くの「渡し」があるのが判明したので大半は省略。
大正期に作られた赤レンガ堤防の一部の展示。近くに実際のものが少し残っている。
六郷水門
・1931年完成のレトロな雰囲気の現役水門。大師橋と六郷橋の中間点。
・六郷用水(含む生活排水)の多摩川への排水と多摩川氾濫による浸水防水が目的。
・「金森式鉄筋煉瓦」という頑丈な造りで、土木学会推奨土木遺産に認定された。
六郷橋(橋長433m)
・国道15号(第一京浜)が通過。1600年に架橋するが何度も流され、江戸時代中期以降は「六郷の渡し」となった。流路上、多摩川で最南端の橋でもある。
京浜急行六郷川鉄橋
JR六郷川橋梁(東海道線)
多摩川大橋(橋長435m)
・国道1号(第二京浜)が通過。東京都大田区と神奈川県川崎市を架橋。
矢口の渡し
・多摩川の蛇行により矢口の渡しの位置は変遷した。
・有名な「新田義興伝説」の頃の渡船場は、現在の新田神社付近(当時はそこまで多摩川が入り込んでいたことは、現在の地形からも推知可能)。
・江戸中期になり、現在の看板の位置に変更された(多摩川大橋上流200mほど)
・1947年に多摩川大橋開通をもって廃止された(多摩川で最後の渡し船)
ガス橋(橋長388m)
・東京都大田区下丸子と神奈川県川崎市中原区を架橋。
・橋には2本の大口径ガス管が通され、東京ガスが神奈川(鶴見)で製造したガスを東京に送るパイプラインとなっている。
第一日目はここまでとして、下丸子駅から電車で帰宅。歩く区間は、アクセスを考慮しておく必要がある。