東急田園都市線宮崎台駅下車。「矢上川」の両岸の台地を巡る旅(徒歩9km)

 

田園都市線には隣接して「宮崎台駅」と「宮前平駅」はある。実は語源は「みやさき」であり、その「宮」は、馬絹神社だそうである。

 

(馬絹神社)宮前区馬絹

創建は江戸時代以前、古くから「女体権現社」と呼ばれ、地元の氏神様として崇められてきた。伊邪那美命が主祭神。詳細はわからない神社。

 

矢上川の低地から台地に向けて石段が続く。氏子の寄進が手厚い印象

 

 

季節柄 しめ縄の材料用とのこと

 

(馬絹古墳)

神社のの隣接地の古墳がある。円墳。県指定史跡。全長9.6m。7世紀中頃築造。

石室内は、1971年の発掘調査時点ですでに盗掘を受けていた。

 

(西福寺古墳)高津区梶が谷

 

しっかり古墳が残っている。訪れるなら冬季が良いと思う。

 

登れるが、今は雑草が繁茂。四等三角点。標高51.94m。

 

(影向寺(ようこうじ))宮前区野川本町

中原街道沿いに位置する天台宗の寺院。本尊は薬師如来(「稲毛薬師」)。
創建は縁起によれば740年(発掘調査で7世紀後半まで実証)。関東地方屈指の古刹。
当初は、豪族の私的寺院であったが、武蔵国橘樹郡の郡衙が設置され、影向寺もその郡寺として位置づけられた。奈良時代には金堂や三重の塔も整備された。その後荒廃したが、復興し江戸名所図会に掲載されている。

 

立派な山門 ちなみに山門前に10台程度の駐車場がある。

 

薬師堂(県指定文化財)

 

木造薬師如来坐像は国重文。平安後期の地方仏の特徴がみられる。年数回拝観可。

 

(橘樹官衙遺跡)
 多摩丘陵上(標高40m程度)に所在。多摩川右岸低地と高低差30m。「橘樹郡」は古代武蔵国に設置された21郡のひとつ。この遺跡は①役所跡の橘樹郡家跡、と②影向寺遺跡により構成されている。2015年に川崎市発の国史跡に指定された。

 

(「橘樹歴史公園」)高津区千年

2024年5月18日、飛鳥時代の倉庫を復元した「橘樹歴史公園」がオープン。

かなりデカい

 

ここから中原街道まで急坂を下り向かいの台地に登り直す

 

(子母口富士見台古墳)高津区子母口

 高級住宅街にポツンとある円墳。道路で削られている。「弟橘媛(おとたちばなひめ)」伝説と結びついた古墳。古事記「其の后の御櫛海辺によりたりき。すなわちその櫛を取りて御陵を作りて治め置き」とし、この「御陵」が富士見台古墳とされる。

 

 

 

 

(橘樹神社)高津区子母口

 富士塚古墳から急坂を下り矢上川近くまで下った平面に立地。日本武尊、弟橘媛を祀る。旧橘樹郡の総社か。富士見台古墳とともに弟橘媛伝説とつながる。

 

 

 

狛犬:耳が折れている(かわいい)

 

(子母口貝塚(しぼくち)) 高津区子母口

県指定史跡。縄文時代早期後半の貝塚。縄文海進により海岸線であった下末吉台地の東端部には貝塚が点在していた。現存はここだけ。縄文時代は鶴見川流域のかなり奥まで海であった。

現在はただの児童公園風


矢上川に向かう斜面が貝塚であろう。

 

現地説明板の貝塚サンプル

 

(蟹ヶ谷古墳群)高津区蟹ヶ谷

 

富士見台古墳から見て矢上川を挟んだ台地上(神庭緑地、標高50m)の遺跡群。古墳時代後期(6世紀~7世紀)の築造された3基が確認されている。
(1号墳)全長30メートル以上の前方後円墳 (2号墳・3号墳)円墳

 

現地では案内板などは全くなくいまいち整備が悪い。画像もどれがどれだか不明。

 

 

これたぶん1号墓ではないか。前方後円墳ぽい

 

 

 

ここから武蔵中原駅まで以外と遠い。このあたりでこういう遺跡が出るとは驚き。