南半分が武蔵野台地、北半分が荒川低地になっている。荒川低地は、暴れ川であった荒川が武蔵野台地を削ってできたもの。この間は、崖地になっている。

 

志村一里塚(中山道)

・都営三田線志村坂上駅近隣の国道17号線沿い

 

国道拡幅時に土砂が流出しないように石積みで囲んだとのこと

 

反対側。街道沿いで両側とも残っているところはあまりない。

 

清水坂(旧中山道)

・国道17号線を埼玉方面に向い左に分岐したあたり

・武蔵野台地から荒川低地への崖を下る坂

 

 

坂の途中の左。都営三田線が地上に出てくる。それだけ標高差がある。

 

 

清水坂〈下)こういう感じで建物が建っているが、ちょっと怖い。

 

三田線が、荒川低地側では高架を走る

 

志村の「自噴水」

・民間駐車場の奥に自噴する水、なかなか豪快

 

城山熊野神社

・崖を登り返した台地(板橋区志村)、かつての志村城の二の丸跡に建立
・1042年、当地の豪族志村将監が紀州熊野から勧進したと伝わる。1455年に千葉自胤が志村城に入ると志村城の守護神と定められた。志村城は1524年に北条氏綱に攻められ落城し、そのまま廃城になった。

 

 

長い参道

 

 

拝殿

 

ここから坂を下って三田線で西高島平駅まで移動。

 

赤塚城跡

・1456年千葉自胤により築城されたと伝わる。実際には砦に近い構造。
・赤塚城は、武蔵野台地の北東端に位置し、北側は湿地帯(徳丸が原、現在の高島平)。荒川の渡し場を一望し、また鎌倉道(埼玉道)を押さえる要衝。

・赤塚千葉氏は後北条氏の有力な家臣。小田原征伐後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になった。
 

 

 

首都高とほぼ同じ高さ

 

赤塚不動の滝

・江戸時代から富士・大山・御嶽山等の霊山登拜へ出発する際の水垢離場。

・昔の板橋区内では、多くの湧水があったが、その多くは消滅した。

・正直、「滝」ではない。

 

赤塚不動の滝の横 崖地がよくわかる階段

 

乗蓮寺(東京大仏)
・室町時代に創建。その後板橋区仲宿に移転した。徳川家とのつながりも深い寺院。
・1973年、首都高速道路の建設と国道17号の拡幅により、現在の赤塚の地(赤塚城二の丸跡)に移転した。1977年に東京大仏が建立された。

 

本堂

 

東京大仏

 

ここからは、地下鉄赤塚駅まで歩いた。

「自噴水」が衝撃であった。