胸形神社(むなかたじんじゃ)は、栃木県小山市の巴波川左岸堤防の下に鎮座する、田心姫命を祭神とする神社。下野国寒川郡の延喜式内小社(論社)

崇神天皇の代(564-631)に九州の宗像神社の祭神を勧請した。中世以降は衰微したが、弘化元年(1844年)に社殿が再建される。昭和16年(1941年)7月に水害で社殿が流失するが、翌年10月に再建された。

 

田園風景のなかにポツンと鎮守の森 左手は巴波川の堤防。

周辺の状況

鳥居

「胸形神社」の石碑 九州「宗像」に対して当神社「胸形」

万葉集の歌碑 当地の人の防人の歌

「旅先に 行くと知らずて 母父に 言申さずて 今ぞ悔しけ」

拝殿

 

境内から鳥居 この先には筑波山がちょうどよく見える

巴波川(うずまがわ)

利根川水系渡良瀬川の支流の一級河川。由来は「ウズを巻き、波を立てて流れる」。

明治時代に堤防が築かれる以前は、たびたび氾濫し橋が2年と持たないとまで言われた。戦後もカスリーン台風、2015年関東・東北豪雨、2019年台風19号でも氾濫。一方で江戸時代は水運に活用された。

対岸 遠くまで平地 

隣接する巴渡川決壊口記念公園案内図 昭和16年に決壊した地点

堤防から見下ろす

 

実りの秋 ちゃんと身がついている

豊富な農業用水 地下水かも

 

なお、駅から徒歩でも行けなくはないが、車がよい。駐車場は神社前に5台、公園に10台以上駐車可能。

 

素直な疑問として、田心姫命を当地に勧請したのだろうか。今では渡良瀬遊水地があるが、大きな河川の合流地帯であり容易に氾濫する地域であったと思われる。一方で、当地は稲作に適した平地であったろう。「たぎりひめみこ」は「霧」「滾る(激しく流れる)」の意味で、水の神として祭られるとのこと。暴れ川であった巴波川の治水か、あるいは農業の水利あたりで祭られたのだろうか。わざわざ堤防直近に鎮座しているところをみると前者か。