ノートパソコンが壊れそうなので買い替えにあたり整理していたら出てきた写真。古い携帯電話で撮影しているため画像は粗い。

 

当時、広い意味で復興支援の仕事に携わっており、翌日の仙台での仕事に前のり。東北新幹線で一関駅まで行き、大船渡線で気仙沼駅まで到達。当時、公共交通で海岸線まで到達できる路線は限られていた。気仙沼駅から街はずれの高台にあり津波被害はなし。坂を下ると、港町(繁華街)になる。主要な通りはがれき除去が進んでいた。

 

*大船渡駅は気仙沼駅より先は津波で不通。石巻から北上してくる気仙沼線も不通。のちの両路線とも廃止されBRT転換。

 

南気仙沼駅周辺。気仙沼駅ははずれにあり、南気仙沼駅が中心部にあった。

仲町2丁目交差点付近か。

 

 

 

 

南気仙沼駅付近、宮城交通気仙沼バス本社付近。

 

 

 

弁天町2丁目付近 阿部長商店の施設の様子

 

海上火災があたっため、油が残る。これが魚の腐敗臭とまじり、強烈な臭いを発している。所々に、真っ黒く蠅が集まる。

 

がれきの集積所

壊滅した水産加工センター

 

魚市場。構造な簡素なので被害は1階だけか。

プラザホテル。少し高台にあり被害は大きくない様子。

 

先行営業開始の「お魚いちば」

名物のふかひれスープを購入

帰りの切符(仙台は途中下車)

 

気仙沼港は、かつお、まぐろ(びんなが)、かじき、さんま、サメ(ふかひれ)の取り扱いが多い漁港。大型冷凍施設や大型加工工場が立地しているため、水揚げする漁船からみれば、安定した価格で全量引き取ってもらえるメリットがある。

 

阪神大震災のときは期末異動で関西に赴任し、これまた広い意味で震災復興関連の仕事に携わった。4月初めに阪神電車で神戸方面に向かい途中で降ろされた。乗り継ぎバスがあったが、徒歩で都心に向かった。道路脇の家屋はまだくすぶっており、神戸製鋼の病院は、本当に倒壊していたし、神戸市役所も途中階で潰れていた。1階の大半を駐車場にしている戸建ては軒並みでつぶれていた。

 

まだ途中停車禁止だった国道6号を通った走破したことがあったなあ。国道6号から八戸あたりまで行ってみようかな。