常陸国の一之宮。

御祭神「武甕槌大神」は、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身した。神武東征に従ってきて、鹿島神宮と香取神宮はこの地に鎮座。東北の勢力との闘いの前線として重要な神社を配置したとされている。

現在は地続きだが、当時は、香取海を挟んで鎮座していたのではなかろう。

 

(大鳥居)

 

(楼門)重文指定

(拝殿)修理中。

(拝殿)修理前の姿。徳川秀忠の寄進。重文指定。

【奥の院への参道)

(鹿園)神の使いとしての役割。鹿島神宮の鹿が特に重要。藤原氏による奈良の春日大社を創建するときに、鹿島神宮から連れて行ったとの伝説がある。都内には「鹿骨街道」という名称が残っている(実際いってみると、当時は湿地帯だったんだろうなと思うが、他に適切な通路もなかったと思われる)。

(奥の院)

(要石)

小さい。

(御手洗池)

奥の院からそれなりに下ったところに湧出。一番神秘性のある場所。1日40万リットルの湧出量があるとのこと(毎分277L)。

山の崖側から流出している。

 

やっぱり水の出るところは神秘性がある。息栖神社の井戸が自主的に引っ越してきたという伝説。海の近くなのに真水の井戸を掘れる技術者の存在が示唆されるように思った。

 

帰路は、霞ケ浦沿いに北上して、土浦北ICから常磐道で東京方面。外環道を大泉方面に向かった。ところが途中で事故渋滞。乗用車が見事に横転していた(転覆でなくて横転)。救助活動中であったが大変そう。どうすれば、あんな見事に横転するのだろうかと思ってしまった。