「木根川橋」は1979年リリースのアルバム「夢供養」の中の一曲。さだまさしが少年時代に下宿していたころの当地の思い出をベースにしている。

 

京成線の八広駅下車。電車の進行方向に住宅街を抜ければ荒川の土手にあたる。少し下流に木根川橋がかかっている。ちなみに、岩淵水門より下流の荒川は1930年に完成した人工河川たる荒川放水路である。かつては現在の隅田川が荒川であった。

東京スカイツリーと木根川橋。手前は綾瀬川になる。

 

木根川橋を渡ると、住所は葛飾区東四つ木にかわる。下流側に500mくらい?歩くと、木下川薬師の看板。「きねがわ」の表記は木下川と木根川があるようだ。

立派な山門。都内屈指の古刹(伝860年創建)。天台宗系。1919年に荒川放水路の開削工事のため、当寺は北東600mの現在地に移転した。

♪木下川薬師の植木市の日には 今でも必ず雨が降りますか♪と歌詞にあるが、現在でも4月上旬に開催されているようである。

本堂

 

次に白髭神社に向かう。このあたり住工混在地域。工場をつぶして複数区画にした建売住宅が目立つ。道が狭い。

 

♪木根川橋から水道路抜けた 白髭神社の縁日は アセチレンたいて あんずあめうってますか 相も変わらず にぎやかなんでしょうね♪

 

「水道路」は、情報は少ないが、金町浄水場からの水道道路らしいので、たぶんこの道だろうというのはわかったが確信がない。信金を左にまがると、渋江白髭神社。ただし、渋江という地名はもはやない。

境内はそれほど広くない。創建は中世であるがはっきりしまい。江戸時代には「葛西の客人大権現」と称され、江戸市中の遊郭や水茶屋などからの参詣者で賑わった。ご祭神は、白髭神社なので、猿田彦神。「客人大権現」はよくわからない。

 

京成立石駅に向い途中から奥戸街道を進む。中川にかかる本奥戸橋手前を左折し護岸を歩く。しばらくしたら左折していく。

(立石)

地名の由来。児童公園にある。

鳥居で囲まれている

これぞ「立石」だという。真ん中あたりの石が少し出ている。言われなければわからない。立石は、中川右岸に形成された自然堤防上にある石標。房州石(鋸山で採取)。この石は、古代東海道の道標として建てられたと推定。元々は古墳時代の石室用の石材だっとのではないかといわれている。江戸時代には高さ60cmほどあったが現在は4cmに過ぎない。ご神体としてまつられてか、愛石家がコレクションとして、薬として、戦場でのお守りとして削り取られた。

近くの「熊野神社」。かなり立派。安倍晴明とのゆかりが深いらしい。

 

付属の幼稚園で飼育している。

 

奥戸橋で中川を、三和橋で新中川をわたる。この先はまっすぐの道で、古代東海道と比定されている。自然堤防と湿地で形成される場所。明治時代の地図では〇〇新田と称されていた。歩いていくと住宅街になり、真光寺にぶちあたる。この裏は江戸川。江戸川河川敷に上ると、向かいは千葉県市川市。こんもりとした森は、下総台地の西端(国府台)。武蔵野台地と同様で良好な地盤がある。弥生時代から集落があり、下総国分寺が設置された(なので古代東海道を通していた)。

市川関所跡。奈良・平安時代以降、都と下総国府の往来のためこのあたりで江戸川(当時は太日川)を渡ったらしい。

 

ついでなので、葛飾八幡宮を参拝。京成国府台から京成八幡まで電車移動。縁日?をやっていて混雑気味。

千本イチョウは、ギリギリ間に合いました。

 

 

 

 

このあと都営新宿線で直通で帰宅。

駅から往復込みで、24,510歩。