米国HBOのドラマ「チェルノブイリ」を全5回330分を見終わった。最期

まで興味を失せずにみられる内容であったが、これを見ながら、当時

の自分の置かれていた状況を思い出した。

 

チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に発生したが、私は、この4

月に上京して大学に入ったばかり。ただでさえ不安な時期である上、

放射能にまつわる噂話や、さらに普段からよくわからないソ連での出

来事ということもあって毎日テレビで状況変化を追う日々であった。

 

このドラマでも、ソ連邦の建前のために嘘をつくことを強制される場面が

が出てくるが、当時も、外からソ連を見ていると、そういうことをやりかね

ない国であることは薄々わかってきていた頃であった。

 

大学2年次で外国法の講義を受ける際、この不思議な国のことを知りたく

「社会主義国法」という、マニアックな講義をとって苦労するのだが、

丁度この頃、ゴルバチョフ書記長の下で、ペレストロイカやグラスノスチが

推進され始めたことで、変化があって面白い頃であった。

しかし、講義や本を読んでも、なぜか内容が入ってこない。これは後でわか

るのだが、ソビエト憲法では、憲法の役割が我々が考えるものと違うのだ。

要は、普通、国会が憲法違反の法律を作れないと考えるだが、ソ連型では

共産党の指導に下で民主集中制(異論認めず)の全会一致で国家意思を

決定するのを最上位だし、憲法とこれが相違することはあり得ないと考える

らしいのだ。憲法とはせいぜい共産主義社会建設に向けた現在までの成果

を示す程度のものと言われても、はいそうですかと納得できなかった。

 

それはともかく、複雑なソ連への心情から、以下の本を読んでいた。

優しいサヨクのための嬉遊曲 島田雅彦

社会主義社会論 藤田勇 *当時の教科書

 

それでもまだ当時までは、世界に米国と比肩する異質な国家が存在していたという

のは、それはそれで、おもしろかったとも言える。