朝まで生テレビなどでの西部邁の発言や話し方は好きであったが、

文章となると、なかなか好きになれなかったのが正直なところだ。

また晩年は、同席する人の雰囲気も変わってしまってあまり関心

を持てなくなってしまった。

 

この評伝の著者は、かつては西部の創刊した「発言者」の編集員も

務めたが、その後に袂を分けた人であり、その分、感情抜きに

淡々と、西部の生涯や思想のアウトラインを追っていると感じた。

 

気に止まった文章を引用しておく

 

「ソ連型の社会主義も米国流の個人主義も、近代主義という点では

同じです。自由や平等といった価値を、一方は集団的・計画的に、他方は

個人的・競争的に実現しようとしただけ。冷戦は左翼同士の内ゲバです」

(西部)

 

「国家は、巨大な幻想の運動であるということができよう。つまりそれは

習俗に基づく道徳が、人々の集合表象となって、自らの可能性を時間の

流れのなかで共同のプログラムとして開示していく過程なのである。

個人はその過程から逃れたくても逃れることができない」(西部著作)
*後段はホテルカリフォルニアの歌詞みたいだ

 

「彼は限りなくクールな「天皇制」支持者だった」

「西部の天皇論は、改めて言うと徹底した制度論であり、その構造的

解釈論に尽きていた。そこに靖国問題や沖縄問題が具体的に介在する

余地はなかったのである」(著者)

 

「西部邁がこの「変えにくい憲法」の急所を、ほかの憲法より体系的に

なっている」と喝破したことだろう。・・・・日本国憲法は「部分と全体が

整合的につながっており」「部分的修正が難しい」ところに最大の特徴

がった。社会工学的な「設計主義」の本領である。(著者)

*鋭いなと思う部分

 

「非実体論的な保守思想こそ、感情過多の保守及び右翼の想像だに

及ばない西部思想の急所なのだ。だが晩年の西部は、そうした勢力に

担がれつつあった。嫌な顔一つ見せずにその神輿にのったこの希代の

保守思想家に対して、筆者は言うべき言葉を持たない(著者)
*私が晩年に感じていた違和感

 

ところで、西部は、米国がたかだか200年の伝統しかない設計主義の国家

として見習うべき伝統などないとみなしているのだが、人為的な国家で

あっても200年も続きそれが覇権国家であるという事実を再評価することを

なぜしなかったのか、という思いは残る。