白幡八幡大神(川崎市宮前区平4-6-1)
(主祭神)
応神天皇、玉依姫命、神功皇后
(社格等)
旧郷社(平村の鎮守、稲毛領の総鎮守)
(沿革等)
伝承では、源頼義が奥州征伐(1058年)の成功を鎌倉八幡宮に誓願しこれが達成できたため当地に八幡祠を建立。一時荒廃するが源頼朝が鎌倉八幡宮を分祀し源栄山八幡宮として再建。稲毛領の総鎮守。徳川家康が朱印地70石を寄進。明治6年(1873)に白幡八幡大神に改称。神社合祀令により明治末から大正にかけて村内神社を合祀.
*村内社の合祀
・当神社HPの配祀神と風土記稿の神社を相互に参照してみた。
(熊野社)村の西字別所、小丘の上:伊奘再命、事解男命、速玉男命→跡地判明
(神明社)村の南字堀の内:天照皇太神
(天神社)村南字天神谷:天満大神
(五所社)八幡宮の坤山上:不明(残りは国常立命、日本武尊 、奥津島姫命)
(稲荷社)村の巽:倉稲魂命
*新編武蔵風土記稿「平村」「八幡社」の抜粋
(八幡社)
・村の中央にあり、源榮山白旗八幡と號す、神供免三石餘なり
・社傳に云鎌倉の右大将源頼朝奥州の泰衡を征伐の時、此度の軍利あらば鎌倉より奥州までの海道の中、十里毎に八幡一祠を建立せんと誓言ありしが、果して勝利なりしかば建久三年に至りて、つひに誓の如く鎌倉より奥州までの間に數ヶ所の八幡を勧請せらる、當社は其一なりと、此事【東鑑】等にはさらになき事なり、
・神體は應神天皇の一坐にて二尺許の木像なり、村の惣鎮守なり・・・・・稲毛總社八幡宮の七字を扁す、前に石階ありて其下に鳥居たてり
・神主小泉信濃が事は村内熊野権現の神職を兼て
(立地等)
多摩丘陵上、中央を東西に平瀬川が流れ、北部と南部は丘、中央部は平坦地である。「小田原衆所領役帳」(1559年)に「稲毛平之村葛山」という記載が見られる。地名の由来は、昔の領主名説(風土記稿)に対し、現在は地名説が有力。
当神社は、村の中央部、平瀬川の南から丘に登る傾斜地にあり、展望が開けている。近くに鎌倉古道(土橋村から白井坂を越えてきた中道の支道)に近い。
明治39年測量図
(左上)初山の正八幡宮(下菅生村) (中央上)熊野社(合祀対象)
(中央)当神社(八幡社) (右下)大神宮(土橋村)
社号碑「稲毛郷社 白幡八幡大神」
「前に石階ありて其下に鳥居たてり」(風土記稿)
社殿(昭和48年10月再建)
・内殿の建物は旧熊野社の本殿とのこと
神楽殿
境内より
熊野神跡地(川崎市宮前区平3丁目7−58 池の谷公園内)
・「村の西字別所、小丘の上」(風土記稿)
丘の下には個人宅の稲荷社があった













