大事な人には定期的に連絡をしないとダメだね。連絡が取れなくなってから後悔しても遅いものえーん


大事な後輩が亡くなった。

私が20代で横浜のハチミツ工場の研究室(品質管理室)に勤めていた頃に、私の半年後ぐらいに入社してきた19歳年上の後輩だ。

後輩と言っても、私が仕事を教えたのは ほんとに最初だけで、そのおじさんは あっという間に工場で なくてはならない存在になった。

そんな後輩おじさんのSさんは、いつも研究室の下っ端の私達の味方になってくれて、いろいろと世話をしてくれたので 仕事を辞めてからも時々連絡を取り合って仲良くしていた。


でも、とっても元気だったSさんは、1年半位前から狭心症になったのをキッカケに腎臓も悪くなって、人工透析をしなければならない体になってしまった。

Sさんを元気づけようと、研究室の下っ端の4人で変わるがわるグループLINEに LINEを送っていた。

そしてつい先日も、私がグループLINEに LINEを送ったのだった。

『下っ端隊の皆さんお元気ですか?私は昨日、海浜公園にコキアを見に行きましたよ!皆さんと私の地元で1泊旅行をしてから、もう2年が経つんですね。時の経つのは早いですねアセアセ

と…。

すると、Sさん以外の下っ端の仲間3人はその日のうちに返信をくれた。でも、3日経っても1週間経ってもSさんからは返信が来ないどころか、既読4にならなかった。

『Sさん、人工透析をやっても元気にならないのかな〜? LINEも読めないくらい具合悪いのかな…』

と気になった。LINE電話をかけても出てはくれなかった。

そして一昨日、

『そうだ!携帯番号の方に電話してみよう!』

と思いつき電話をかけてみると

『おかけになった電話番号は現在つかわれておりません』

のアナウンスが流れた。

『え?なんで?Sさん、携帯解約しちゃったのかな?私達に連絡もなしに⁈』

と私は不安になった。

グループ LINEの履歴をたどったら、Sさんと最後にやり取りしたのは、7月31日だった。ちょくちょくやり取りしてるつもりだったけど、意外と間があいちゃってたんだな〜と反省した。


私は携帯が繋がらないなら手紙を書いてみようと考えた。

そして手紙を書き終わった直後、私の携帯に知らない携帯番号から電話が入った。セールスの電話か何かだろうと思い、切れるまで無視したのだが、その2分後位にまた同じ携帯番号から電話がきた。

『もしかして、Sさんの新しい電話かも!』

と思って、私は恐る恐る電話に出た。

「はい…」

「あ!○○です」

Sさんの苗字だった。でも若い男の人の声だった。

「息子さんですか?」

と私が言うと、

「はい。そうです。息子のTです。実は父が亡くなりまして…8月9日でした」

「えっ?えっ?うそ!ヤダえーん

私は動転して家の中をバタバタ歩き回った。その後しゃがみこんで息子さんの話を聞いた。


Sさんは、今年の5月に人工透析を初めてから だいぶ元気になっていたらしいのだが、感染症になってしまって7月から入院していたようなのだ。でも息子さんによると、亡くなる前日まではわりと元気に電話で話していたそうだ。しかし8月9日に病院から連絡が来て駆けつけた時には、もう意識不明だったそうだ。

息子さんいわく

「体の具合が悪くなってからずっと『痛い』とか『苦しい』とか言ってたけれど、最後は苦しまずに逝けたので、よかったかなと思います」

との事だった。

Sさんが亡くなったのが突然だったので、息子さんはSさんの携帯を開くことが出来ず、やっとつい最近開くことが出来、見てみたら私から何度か LINEや電話が入っていたので『ずいぶん心配してるようだから、知らせた方がいいな』と思ってくれて電話をかけてきてくれたそうだ。電話に出て本当によかった。


Sさんには本当にお世話になりっぱなしだった。最後に会った今年の1月16日も、Sさんが心臓にステントを入れる手術をして退院して間もなかったので、Sさんの地元 藤沢市のカフェでお茶してバイバイする予定だったのに、

「エラピーがせっかく茨城から出てきたんだから」

と言って下っ端4人を車に乗せて横浜の関内まで来て鰻丼をごちそうしてくれて、その後 私がお勤めしていたころに時々お茶してた馬車道十番館というカフェでサバランもごちそうしてくれて、本当に最後の最後まで優しくしてくれた。他の同僚3人もSさんにはそれぞれすごくお世話になっていたと思う。

今度は私達がSさんに恩返しする番だったのに、何も出来なかったな…。

最後にSさんとの楽しかった思い出を貼り付けておこうと思う。

 

Sさん安らかにお願い近々みんなでお墓参り行きます。