好きなおにぎりの具材は?

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好きなおにぎりの具材は、王道の鮭かな照れまぁそれはいいとして、私には今も記憶に残っているおにぎりの思い出がある。

私は昭和42年生まれ。私が生まれた街では、小学校の遠足のお弁当と言ったらアルミホイルで包んだおにぎりを2つか3つというのが主流だった。たまに茹で卵かミカンを持ってくる子はいたが、大体の子はおにぎりだけだった。

そんな田舎で育った私が、4年生の時に父の転勤で横浜に引っ越す事になったのだ。小学3年生のお正月明けに母が突然、
「やっぱりみんなでお父ちゃんに付いて行こう!お母ちゃんは1人で3人の子供は育てられない!
と言い出し、もう父は単身赴任すると決まっていたのに、それをくつがえしたのだった。私はすごく驚いたし、すごく嫌だな〜タラーと思ったのを覚えている。

そんなこんなで小学4年生から私は横浜の小学校に通う事になった。田舎では わりと積極的で元気にやっていた私だったが、訛っているのをみんなに笑われるし、意地悪な男子に「転校生のくせに生意気だ!」とか言われるしで、おとなしい子になっていた。
そして4年生の5月、横浜に来て初めての春の遠足があった。
お昼の時間、4〜5人のグループになって お弁当をひろげると、なんと他の子にはおにぎりにおかずが付いているではないかびっくりおにぎり2つと、小さいタッパーに唐揚げやウィンナーや玉子焼きなどを皆持ってきていた。私は驚いたけど、なんだか恥ずかしくて、おにぎりをリュックで隠しながらコソコソ食べていた。でも隣の女の子に気付かれて、
「エラピーちゃん、おにぎりしか持ってきてないの!?
と大きな声で言われてしまい、他の子達にも気付かれてしまった。みんなで私のアルミホイルに包まれたおにぎりを代わる代わる覗きこんで、
「えーーアセアセエラピーちゃんかわいそう!
「お母さん、おかず作ってくれなかったのぉ!?
「かわいそうだから、玉子焼きあげるよニコニコ
「じゃあ私はウィンナーあげる照れ
と言っておかずを分けてくれたりした。
べつにうちの家庭は おかずを持たせられないほど貧しかった訳ではないのに、みんなから可哀想可哀想と言われてすごく惨めな気持ちになったのを覚えている。
今の私だったら、
「前の学校では、みんな遠足の時にはおにぎりしか持ってきてなかったよ!文化の違いだねっウシシ
と笑って言えちゃうだろうに、小学生の私にはそれが出来なかったんだなぁ…。
家に帰ってその事を母に話したら、
「そーなの?じゅあ次はおかずも入れるね」
とあっさり承諾してくれた。

小学校での転校は、楽しい事もあったけど、嫌な思いも多かった。
でも、短大選びや就職活動の時に、
『横浜だったら知ってる街だから』
と思って、ビビりな私がなんとか飛び込む事ができたのは、小学校での3年間があったからこそだと思うので、母の決断もあながち間違ってはいなかったのかな〜と思う照れ