セカンドオピニオンに行ってきました。(本編) | たけもも(再再発 AML M6) でもパパは諦めない!

たけもも(再再発 AML M6) でもパパは諦めない!

急性骨髄性白血病は本当にしつこいやつです。

私ににて頑固!

今度こそ生きるか死ぬかの最後の闘い。
家族のためにもループをbreak;しなきゃ。

早朝4時。迎えに来てくれる妻を起こす。
何とか起きてくれたようだ。
私はモーニングコール?を終えるとまた意識を失う。
早朝の5時20分。
看護師さんが遠征に備え、優しく、もといドタバタと起こしてくれて、抗生剤もメロペネムから、適用範囲の広いマキシビームに変更され点滴開始。


私も洗面などを済まして出発の用意を始める。
そして、ひときわ異彩を放つN95対応マスクを装着し、抗生剤が終わるのを待って玄関に向かう。
交通整理の係の人もいない。
私は5分ほど夏の朝の独特の空気を楽しんだ。
とても新鮮な懐かしい感じ。

車を走らせる事40分ほど...懐かしい我が家が見えてきた。

短い時間だったけどたーくんはアンパン遊びを強要爆笑

もーちゃんはパパと会うと号泣。

40分くらいだったけどしばらくぶりに自宅に行けました。

そしてそこから、母、伯母の車と車2台に別れて空港へ。
たーくんは空港で大はしゃぎ。でも飛行機に乗れると思ってる口笛



8時45分の便が遅れて9時に。
仕方ないので子供達にご飯を食べさせる。


そして時間になったのでお見送り。たーくんがなぜ飛行機に乗れないか駄々をこねるチュー

でも注射しに行く言ったら何とか諦めた。

久々の飛行機。
N95マスクが目立ちすぎてみんな振り返るガーン
しかもつけているのはナメック星人てへぺろ
しかも病気持ちっぽくて微妙にさけられるグラサン
どちらかというとあなた達から私を守るためにつけてんだけど..
まあしかたないやね。どう見ても不審者だから爆笑

そしてあっという間に伊丹に到着。やっぱり早いね。


タクシーで一路、兵庫医科大学病院へ。
行きのタクシー運転手さんは、ちょっと無口。
仕方が無いのでこちらから話をふってみたら、凄いマシンガントークが始まった。
行き先が病院だから気を使ってくれてたのかなぁ〜

兵庫医科大学病院へ到着したけど、建て増し建て増しでもう迷路爆笑



14時からの約束でしたが資料の事前発送ができてなかったので、11時頃に総合受付に行く。
そしたら、早めの枠がとれた。
廊下で待っていたらコーディネーターさんが出てこられて、「白血球が300じゃないですか。ここは危ないので、受付あたりで待っていて下さい。」
待つこと一時間くらいでついにセカンドオピニオンの呼び出し。
何かな就職試験を受けに来た気分。

まず白血球300、N95マスクでちょっと先生からもひかれた口笛
でも意気込みは買ってくれたと思う。

お話の内容は前半に医学的な話。
兵庫の移植と他の病院で行われてる移植のちがいを説明された。

「他の病院はやはり前処置での抗がん剤の効きありきの移植。
移植後のGVLに効果を期待するが、抗がん剤が効いてなければ、とても悪い細胞を抑えるには役不足。
臍帯血はもともと力が弱いからHLAをいくらずれてても大した効果は、見込めない。
GVL効果を出せる反応の器の深さが浅くて調整の余地が少ない。
骨髄移植もHLAをあまりずらさない移植なのでGVLは同様。

だけど兵庫がやってるHLAを激しくずらすハプロ移植は極端な話し、一生GVL効果で悪い細胞を別の原因などで死ぬまで抑え続ける事を目標としている。
それでも、一生、週に免疫抑制剤を一錠のむとかそんなもの。
年取ったらいっぱい他にも薬飲むでしょ?そのうちのうちの一つと思ったらいいよ」と今までの常識と真逆の話しが、展開されてちょっと困惑びっくり
でもこの考え方はわたしの求めていたものだ。
よく、普通の移植後では手離れと言う言葉を使う。
でも手離れした時、悪い細胞はおとなしくしているのだろうかと...

再発する人は色んな検査して根治と言われるのだけど、サンプリング検査くらいでは見つからなかった悪い細胞がいるかもしれない。
それを発見して倒し続けてくれる存在が必ず必要なはず。
それが兵庫ハプロの一生闘い続ける免疫細胞ってこと。」
論理的にしっくり来た。

そして、後半は家族のバックアップの覚悟の話。

「患者が頑張ると言ってもたかがしれている。
患者に頑張れ、頑張れ言っても結果に大差は無い。患者本人ができるのはただ耐える事だけ。
どんなに治療法を工夫しても否寛解からは5年後生存率(再発なし)20%にしかならない。

ここからどれだけパーセンテージを上げられるかは家族、親族がどれだけ患者の為に自分を犠牲にできるかだと思う。
奥さんは、治療が始まったらずっとこちらに来て一年くらいはりつける覚悟はありますか?
その間、子供達の面倒らは誰が見てくれますか?
子供達はそのことに納得して耐えられますか?
弟さんも何をおいても患者最優先でかけつけられますか?
病気は患者さんだけでは無くて家族、親族全体で協力して1%でも生存率を積み上げていかないといけない。
そして残酷な話しだけど、その間も金銭面でもみんなの生活が成り立たないといけない。
成り立たないということであれば、極論いうと治さないほうが良いと言うことになります。
今後数年の資金面の見通しは大丈夫ですか?」
と病気を治すという行為に対し、関係してくるあらゆるもののマネジメントが要求される事が分かりました。

ここまで言ってくれる病院って正直ないよなぁ〜プンプン

そして重要な、質問。
いつ移植をお願い出来そうか?

「我々は治したいと考えられている患者さんを山ほど抱えている。しかし、限られたリソースの中では、助かる可能性の高い患者さんを優先して治療していくしかない。
なので、残念ながら誰を治療するかは我々で判断させて頂く。
あなたはおそらく10月頃移植可能だろう。
弟さんをドナーにして、奥さんに顆粒輸中ドナーになってもらう。
全員O型だから都合がよい。
奥さんドナーでもいいかな...」

とまあ色々とこれまでの前提を覆す内容だったが、論理的にすべてが納得の行くものだった。
兵庫の論理の方が腹に落ちた。
先生のお話のあとにコーディネーターさんと色々とお話をしてセカンドオピニオンは無事終った。

先生はN95マスクをつけてきた事に大変関心されていた。
意気込みは買って頂いたのだろう。
白血球300の人間なんて本人が来るのかな?
そんな疑問を抱きつつ帰路についた。

気持ちは固まった。

未来を手に入れるために兵庫に行く!

熊本に帰って来て疲れがどっと出た。
本当に入社試験みたいにだったなぁ。

空港について、そのまま一度自宅に帰った。
夕食を取りながら、先生から話された内容を説明し決意の程を確認した。(たーくん以外)

後は熊本の先生に筋を通し、転院にむけて体調や体力を整えるだけだ。特に腎臓。

長いけど最後に子供達とUSJにでも行ければ最高かな。
という感想を持つ間もなく、病院にトンボが帰り。
マキシビームを打ちました。

はぁ、色んな意味で衝撃を受けた一日でした。
考えている事が普通の病院のワンランク上...
闘病も病院まかせではなく当人達がトータルマネジメントしないと駄目なんですね。

でも何とか治療するに値する患者と、認めて頂けたようで少し安心しました。