ブログで本当に人は繋がり合える | たけもも(再再発 AML M6) でもパパは諦めない!

たけもも(再再発 AML M6) でもパパは諦めない!

急性骨髄性白血病は本当にしつこいやつです。

私ににて頑固!

今度こそ生きるか死ぬかの最後の闘い。
家族のためにもループをbreak;しなきゃ。

世間ではブログを使って、PVを稼ぎお金を稼いでいる人もいる。

私はそれを否定も肯定もしない。
別にそういう生き方も自由なわけで所詮ビジネスツールかなとちょっと距離をおいて考えていた。

私ははじめ病気の状態を会社の人達に報告する為にブログを始めた。
お世話になっている人が多すぎてメールでは報告が追っつかないからだった。

そのうち、会社の人達だけではなく同じような境遇の方達もコメントをくれるようになった。
そして、私もその方々のブログにお邪魔してコメントを書くようになってきた。

やはりみんな同じようなところで悩み、苦しんで、泣いて、同じような人達がそこにいた。
みんなと緩く繋がっているのが心地よかった。

私も再発の不安や苦悩を素直に書いた。
もはや会社への報告と言う枠を超え、自己表現の場に近くなっていた。
でもまだどこか一線を引いていた。

その一線を超えたのは一回目の再発だったかもしれない。

あの時は自分の中だけで悔しさや苦しみが収まりきれなくて、外に吐き出していたと思う。

ちょっと作っていたたけもも像が崩れた瞬間だった。
そしてそれから二回目の移植までは、自分の生活の備忘録になっていったと思う。
たけももはどんな人間でどんな家族がいて、どんな生活をしているのか...
そんなことを日記のように毎日?綴った。
そんなつまらないブログにもコメントをつけてくれる人達がいた。
二回目の移植を切り抜けたら会おうねって言ってくれる人も現れてくれた。
なんだか、嬉しかった。
ブログも良いもんだなぁって正直に思えた。

そして迎えた二回目の移植。
私はM6で移植する人の成功例を示す事が出来るように頑張った。
しかし、前処置が全く効かない私の極悪細胞の前に夢は潰えた。
そして、私は余命宣告された。
担当医からは匙を投げられ、生きる道を模索していた時に、唯一の道であると思われる兵庫医科大学病院の話しを耳にした。

私も生き残る道はここにしかないと思い、先生にセカンドオピニオンをお願いした。

そうしたら、なんとブロ友の先輩達が沢山いらっしゃった。

一筋の希望が見えかけた時、事件が起こった。

担当医HLA資料見間違い事件だ。
セカンドオピニオンに出発する予定のたった2日前だ。
目の前が真っ白になった。
生きる道が絶たれたと思った。

だから私は思いの丈や事の顛末をありのままに書いた。
誰にどうしてもらおうと思ったわけではないが、書かずには居れなかった。
いや、違うな。本当は助けてほしかったんだろうなぁ。
・担当医がHLA資料を読み間違って実は2/8座しか合っていなかったこと
・それによりセカンドオピニオンが中止になりそうなこと。

すると「諦めたら駄目」と言ってくれる人達が現れた。
兵庫医科大学病院で治療を受けたまたは受けている方々だった。

・兵庫医科大学病院では再移植以降はHLA-Cの2座を見ないこと
・私の場合は2/6一致(4座不一致)という扱いになるので、全然諦める必要ない事

を一生懸命助言してくれた。
私は病室で思わず泣いた。
諦めなくてもいいんだと...
でもこれは3年近くもブログを続けてきた事によってもたらされたプレゼントだった。
妻も「ブログ続けてきて良かったね」と言って喜んだ。

ブログが人と人を結びつける事が本当にあるんだ...
それが今の私の正直な感想であり実体験。
時には生きる道すら照らしてくれる。

そして、担当医にブロ友さん達から聞いた事を伝えた。
担当医は既にセカンドオピニオンをキャンセル済みだったが、その情報にびっくりして兵庫医科大学病院に電話をかけてくれた。
帰ってきた兵庫側の答えは「ちょうどいい具合にズレてますね。」だったという事だった。

夕方、担当医から呼び出され話をした。
「たけももさんの情報源がなければ、たけももさんのチャンスを引き続き潰してしまう所でした。
本当に情報を下さった方々にお礼を伝えておいて下さい」
と言われ、情報源に感心していた。

でも私は思った。
論文も大切だけど、最後にものを言うのは人の力だと。

今回、命の恩人とも言える兵庫医科大学病院軍団の皆さん、本当にありがとうございました。
そして、最後まで諦めるなとコメントを下さった皆さん、ありがとございました。

私と妻は担当医を納得させて明日、無事に兵庫に行けます。

まだまだ出発地点に立てるかもといった意味合いでしかありませんが、皆さんと一緒に必ず良くなって人生を取り戻して行きたいと思います。

まだまだどんな運命が待っているか分かりませんが、引き続き闘い抜いて、根治を目指して頑張ります。
見守って下されば幸いです。

そして父と母から全く反対の染色体をもらったのにC座以外に奇跡的に2座一致を持って生まれて来てくれた弟にも感謝です。
持って産まれた運命の兄弟なのかもしれませんね。