(今回は「モンテ・クリスト伯」の感想はお休みします

また次回書くよ!)

 

 

 

サブタイトルは

<自己啓発文化>の深層を解く です。

たまたま本屋さんで見かけたから買ったのですが、面白かった!


自己啓発書というのは以前からあったのだけど、

その歴史や最近の主流、そしてこれからどこへ向かうのか、

ということをていねいに書いた本です。

 

第2章の「お部屋から革命を起こす」にちょっとギクッとしました。

 

お片付けとか断捨離と、自己啓発の関係についての話です。

一見、何の関係があるんじゃーい、

と思うかもしれませんが、あるんだな、これが。

 

私自身も部屋のお片付けをしたいほうで、

そのテの本をよく読みます。

 

ここで書く順序が逆になってしまいましたが、

第1章の「なぜひろゆきブームなのか」と深いつながりがあります。

 

それまでの自己啓発書は努力して社会的地位やお金を手にする

ものが主流でした。

その後、低成長の時代になり、自己啓発は内面的なほう、

何を持たないか、どうシンプルに生きるか、個人の幸せを追求する、

といった方向へ変化する。

ちょっと雑なまとめになってしまいましたが。

 

断捨離なども同じ。

よけいなものを持たず、すっきりシンプルな暮らしになれば、

ストレスが少なくなる。

ブランド品を買いあさることが幸せだとも思えなくなるかもしれない。

あの人はアレを持っているのに、私はまだ持っていない、

とキリキリすることもない、かもしれない。

 

持たない幸せ、という方向性である。

 

だが、やはり物事はそんなに単純ではない。

本書にもあるように、「比較」というゲームから降りることができても、

 

「人生の幸福をめぐって戦われる別のゲームの始まりでもあるのだ」

(P127)

 

う~ん、やはり人は誰かと比較し、

よりよく生きる、というゲームから逃れられないのか?

 

第3章からは、自己啓発の歴史をたどっていくことになります。

 

少なく見積もって160年、日本では明治時代が大きなポイントですが、

その前の江戸時代からの思想の流れもある。

 

やはり、近代というのが非常に重要なのだなあ。

 

近代というのを説明するのは、私のおつむでは難しいのですが、

う~んう~ん、

ざっくりいうと、産業革命とか、資本主義社会、市民社会とかの

あたりから?

う~ん、詳しくは調べてね!←投げた。

 

このころ生まれた価値観が、現代も強く影響を受けている

ということなのでしょう。

 

出世を目指す「足し算型」の自己啓発、

自分なりの幸せを目指す「引き算型」、

どちらにしても、「人生の幸福」「よりよく生きる」

を目指さねばならない。

 

本書の言葉でいうなら「幸福至上主義」だ。

そして、今の社会ではその考えから逃れることは不可能といっていい。

 

それについて著者は

「近代社会と自己啓発を切り離すことが不可能ならば、

付き合い方を見直すぐらいしか対処のしようが

ないことも明白になる」と述べる(P291)

 

すっきりしない結論ではある。

だが、現実的にはそうなるだろう。

ここですっきりした答えが出たら、それこそ怪しい自己啓発だ。

 

著者のスタンスも書いてあるが、

それを強く主張しない点も、誠実だし、個人的にはいいと思う。

そこはやはり、読者一人ひとりが考えていく問題なのだろう。

 

 

ところで。

本書は三宅香帆先生の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

と共通点が多い。

 

どちらも映画「花束みたいな恋をした」を取り上げているし、

三宅先生の本も、自己啓発書について語っている。

あと、時代による価値観の変遷も。

 

三宅先生の「半身で働こう」(仕事以外に読書や趣味を持とう、ということ)

という考えは

本書で言う「引き算型」の自己啓発だ。

 

共通点は多いが、熱さのようなものはかなり違う。

 

本書の真鍋厚先生のほうが年齢が上だからか、

それとも個性の違いなのか、冷静さや、いい意味で醒めたものを感じる。

ものを書くうえで、醒めた目線というのはとても大事だと思う。

 

三宅先生の「半身で働こう」という考えに共感しつつも、

なんだかそのエネルギッシュさにやや疲れた身体には、

このぐらいの冷静さがちょうどいい。