いやあ、今週も「モンテ・クリスト伯」の感想を書く予定だったのですが、

急遽、先日観に行った宝塚雪組公演

「ベルサイユのばら フェルゼン編」の感想に変更。

 

「モンテ・クリスト伯」の感想はまた必ず書きますので。

(なにしろ新訳バージョン刊行中だし、出るたびに書きますよ)

 

ええと、ネタバレするかもです。

あと、スターのみなさまよりも、

作品そのものについての感想がメインになります。

 

宝塚歌劇のベルばらは、なーんと今年で50年ですってよ!半世紀だよ。

もう、古典ですな。

 

私は平成からの再演はず~っと観続けていますよ。

 

今回は大劇場では10年ぶりの再演で、

スウェーデンの貴公子フェルゼンと、フランス王妃マリー・アントワネット

の悲恋を中心にしたもの。

 

作中もっとも有名である、男装の麗人オスカルさまと

幼なじみのアンドレは準主役級。

 

さっき、私は古典と書いたのですが、

単に昔からある作品だから、ということだけではありません。

観客が予備知識を持っているはずだ、という前提で作っているという点でも

やっぱり古典扱いなんですよね。

 

だって、オスカルさまがどうして男装しているかという説明がないのよ!

見た目は男みたいでもほんとは女、

という設定すら、物語の中盤までは説明しない。

 

「そんなのお客さんみんなわかってるよね? 

まさか、予習なしで観にきてないよね?

そんなはずないよね。だって、一般常識だよ?」

と言っているかのようだ。

 

オスカルさまの男装設定って、桃から生まれた桃太郎とかと

同レベルに有名なの?

 

え~と、ほんとのところどうなんでしょ?

みんな、どこまで事前あらすじ知っているの?

 

私は原作まんがが大好きで、ヅカも観るようになったのだけど、

世間の人々の中には

「まんがも宝塚の舞台もよう知らんけど、ベルばらって有名だし、

観てみようかな~」

ぐらいの軽いノリで行く場合もあるでしょう。

そういう人はどう思ったのかなあ。

 

まあ、ふつうは軽くチケットは取れないけれど、

人に誘われたからとか、案外いろんなルートがあるものだし。

(今回、私も特にヅカファンではない友人を誘った)

 

こんなふうに書くと、まるでけなしてるみたいだけど、

そういうことではないのです。

 

確かに、どうなんだその展開は、という部分もたくさんあるけれど、

(やっぱり一応文句はつける)

 

……すっごくよかったんだな、これが。

いやもう「ベルサイユのばら」が存在するこの世は

なんて美しいんだ、と本気で思ってしまいました。

 

ええい、笑いたければ笑うがいいさ!

俺はマジだぜ!

 

たとえば

今宵一夜とかバスティーユ襲撃とか、

ラストの断頭台にのぼるマリー・アントワネットとか、

そういう名場面といわれているシーンは、やっぱり大感動。

 

少々の(?)不満なんて吹き飛ぶ迫力。

 

なんなんでしょうね。

どうして「ベルサイユのばら」だけがこうなるのでしょう。

 

原作が優れているというのはもちろんだけれど、

有名作品がメディア化されたら、大コケ、なんてよくある話だし。

 

ええ、宝塚だって、原作は素晴らしいのに

舞台化したらトンデモ作品になっちゃった、なんてこともありますよ。

私は今でもあの作品については本気で怒ってるぞ!

あ、話がそれましたね。すみません。

 

とまあ、このようにメディア化にはいろいろレベルがあるなか、

なんだかベルばらだけが、本当に奇跡のように

何もかもが見事にはまったというか。

 

う~む、奇跡が生まれる瞬間に立ち会っているのか、観客は。

そりゃ感動するわ。

 

原作ベルばらは、今度新作アニメも公開されるし、

韓国ではなんとびっくりオリジナルミュージカルを上演中。

 

それらももちろん気になるけれど、

宝塚版もやっぱり永遠の命を持った、火の鳥みたいに

生き続ける作品なんだろうなあ。

あ、なんか別のまんがが混ざってますが。

 

ちなみに、同行した友人は、

ラストの牢獄でのマリー・アントワネットに

涙しておりました。

 

私は別に泣かなかったな。

オスカルさま原理主義だからかなとも思ったけれど、

バスティーユの場面でも泣いたことないし。

 

あら?ほんとに感動したのか、私。