今、トルストイの「戦争と平和」を読んでいるのですが、

 

って、ちょっと待ちたまえ。

タイトルと言ってることが違うじゃないか。

だいたい君はむかしからそういう適当なところがあってだな、

 

いえ、待ってください、まず私の話を聞いてください。

 

と、まあ意味不明のひとり芝居はこれくらいにして、

ほんとに「戦争と平和」を読んでいるのですが、

戦争シーンになると理解できなくなるのです。

 

ロシアが、ナポレオン率いるフランスと戦争しているのはわかるのだが、

それ、いつの話でしたっけ~という感じなのである。

 

しかし、そんな私には強い味方があった。

池田理代子先生が描いたナポレオンのまんがを持っていたじゃないですか!

 

というわけで、押し入れから取り出して久々に再読しました。

 

池田理代子先生といえば、何といってもまず「ベルサイユのばら」でしょう。

フランス革命をテーマにした一大人間ドラマです。

 

今回取り上げる「栄光のナポレオン」は時代的にもつながっており、

「ベルばら」の続編と言えないこともない。

 

……がっ!!

まず戸惑うのは絵柄の違い。

「ベルばら」終了から12年後に描かれた作品なのですが……

 

う~ん、12年か。

どんなまんが家さんも、それだけの歳月を経たら絵柄も変わる。

理屈としてはわかっている。

 

いや、でもそれにしたって変わりすぎでしょう!

かつての麗しさは面影もなく、ごつい絵柄になってしまっている。

 

まあ、実際には突然変わったわけではなく、

「オルフェウスの窓」という作品の連載中から変わっていったのですけど。

 

理代子先生の作風自体が、どんどんリアルさを重視するようになっていったので、

この変化は当然と言えるのかもしれない。

 

よくまんがファンが作家の絵柄の変化に嘆いているけれど、

理代子先生で免疫がついた私は、

多少の変化にはびくともしなくなったぜ。

 

で、内容なのですが、

理代子先生は本当に少女まんがから離れたんだなあ、としみじみ。

 

一般的に少女まんがや、少年まんがもそうなのだけど、

キャラクターが大事。

 

読者は主人公に憧れたり、共感したりすることで成立する。

分かりやすくいうと、キャラあてにプレゼントを贈ったり、

あるいは二次創作をしたりする。

友だちと、好きなキャラについて語るのも楽しい。

 

キャラが読者一人ひとりの心の中にちゃんと生きているのだ。

 

だが、この「栄光のナポレオン」はそういった部分はあまりない。

キャラたちに感情移入しにくいのだ。

 

なにしろ、主人公のナポレオンは戦争や政治の天才である。

一般人とはあまりにもかけ離れている。

まわりの人物たちも戦争したり、政治面でもさまざまな策略を練ったりして、

これまた我々の生活には身近ではない。

 

これは少女まんがではできない描きかただ。

「婦人公論」というまんが雑誌ではない媒体だったからこそ

可能だった作品だろう。

 

キャラ人気、というまんがにおいてかなり重要なテーマを、

あえて切り捨てた作品である。

 

「ベルばら」的ロマンティックな盛り上がりを期待していたら、やや戸惑う。

 

といってもつまらないなんてことは全くなく、

やっぱりこれは壮大な歴史ドラマなのである。

 

キャラに感情移入するよりも、

読者は歴史の流れを俯瞰的に見ているような感じだ。

(なにしろ我々読者は、ナポレオンの栄光と没落をすでにわかっているのだから)

 

そしてやっぱり戦争シーンはよくわからないのであるが、

これは私のおつむのレベルが低いためである。

作品に責任はありません。

 

それからもう一つ、個人的にずっと考えているのは

「実在した人物をどう描くか」ということだ。

 

理代子先生は、あくまでフィクションとして描いている。

「ベルばら」に出てきた架空の人物も再登場し、

ナポレオンと会う。

こういう手法は多くの歴史ものでもおなじみだ。

 

これは言うのは野暮だが、冷静に考えれば

「んなわきゃない」のである。

 

実在したナポレオンに、架空の人物であるオスカルさまの部下だったアラン

(もちろんこの人も架空)が

士官し、出世して将軍にまでなる、なんてことはあるわけないのだ。

 

でも、なんだか本当にそんなことがあったかのような気になる。

実在の人物も、架空の人物も、

同じぐらいの重要性を持って、この作品の中に生きている。

 

これはこうやって言うのは簡単だが、

実際に作品として成立させるのは、すごいことである。

 

ずっと以前にある歴史まんがを読んだのだが、

(もちろん、理代子先生とは無関係)

架空の人物であるヒロインが、ある実在の人物と出会う。

 

そこまで読んで私はあの禁断の一言を放ってしまった。

「んなわきゃない」

 

結局私はそこでそのまんがを読むのをやめてしまったので、

どうなったのかは知らないが。

 

これはやっぱり作者が、その実在の人物をうまくとらえきれなかったというか、

物語世界のなかで、その世界観にふさわしく見えるように

ちゃんとキャラクターして成立していなかったのだと思う。

 

その人物の大物っぷりに作家が負けたというか。

 

実在の人物を描く場合、

作者が、自分の理解の範疇をこえた他者をどうとらえ、

咀嚼し、再構築するか、というセンスが問われるのだろう。

 

(ついでに言うと、架空の人物でも「理解できない人」

という設定はある。

だが、それは作者が理解できる範囲の

「理解できない人」ということである)

 

歴史ものなどは、この「実在した他者のとらえかた」が

上手いかどうかが成否のカギを握るのだろう。

 

あ、上にとりあげたまんが家さんの名誉のためにいいますが、

その作家さんは架空のお話は面白いです。

歴史もの向きではないのでしょう。

 

人それぞれ、向き不向きはある。

 

 

で、またまた最後にミーハーな話題。

 

私はオスカルさまの部下のアランが好きだったのですが、

「ベルばら」時代はやんちゃというか、

好きな女の子(オスカルさま)をいじる悪ガキ、という感じだったけれど、

この作品では落ち着いたいい男になったなあ!

 

ナポレオンの才能を認めつつも、心酔しない点も冷静で良い。

そして生涯オスカルさま一筋だった。

やっぱり私は見る目があるよ!

 

そして、この人、なぜか老けない。

ナポレオンはどんどん頭髪が薄くなり、背も縮んで太っていくのに、

年上であるはずのアランだけは若々しいまま。

架空の人物の特権と言えよう。

 

はい、ミーハーからは以上です。