はいっ! 発売されたてほやほやの、しをん先生最新エッセイでございます。
いつものように、なんてことない日常のお話ばかりなのですが、
もういちいち面白い。
ネタなんてものはどこかに落ちているものではない。
自分自身のなかにあるのだ!!
それを掘り当てるのがプロってもんさ!
と、謎に偉そうな俺。
私のことはさておき、しをん節の炸裂っぷりを
さっそく見ていかねばなりません。
第一章では、しをん先生はピカチュウぬいぐるみ(略してピカぬい)
を可愛がっているさまがつづられています。
先生によると、ぬいぐるみはしゃべるそうです。
ピカぬいの一人称は「俺」、なかなかのツンな人(人じゃないか)らしい。
可愛い見た目に似合わず、けっこうクール系なのね。
それでもしをん先生を無視せず、
きちんと会話するいいヤツみたいです。
と、こんなふうに書くと、私までなんか変なヤツだと思われるかもしれません。
だが、ぬいぐるみはしゃべるのです。本当に。
心理療法家の河合隼雄先生もそう言っておられました。
「こころの処方箋」というエッセイのなかにも書いてあります。
「一人で楽しく生きている人は、心のなかに何らかの
パートナーを持っているはずである。(略)
ぬいぐるみなどに名前をつけて、一緒に住んでいる人もある。(略)
うまくゆくと、ぬいぐるみの方からもいろいろと
面白いことを喋ってくれるはずである」(第37章)
初めて読んだとき、実は私は「…へえ…そうなんだ…」
と、若干引き気味だったことを正直に告白します。
でも、しをん先生が楽しそうにピカぬいと会話している様子を見ると、
ああ、やっぱりしゃべるんだな、というか、
まあ、物理的にはしゃべってないけれど、
本人のこころのなかが、そう見せているというか。
一人で楽しむことのできる才能があるのだなあ。
私は今のところ、ぬいとはしゃべってないです。
そのうち挑戦してみるか。
さて、三章ではしをん先生はロマンス漫画にはまっていると告白。
いわゆるハーレクイン小説を漫画にしたもの。
先生はハーレクイン小説もお好きだそうな。
う~ん、意外というか。
私は、小説のほうは知らないけれど、漫画はちょっと読んだことがあります。
まあその、はっきりいうと、たいして面白くなかった。
だいたい似たようなお話なんですよね。
ごくフツーのヒロインが、王子様とか大富豪に見初められて…
というような。
そういうものを、なにゆえしをん先生が?と思っていたら、
これまた意外な答えが。
「私のなかでは、文楽や歌舞伎を見るのと同じ行いに
分類されているのかもしれない(演目や筋立てはすでに知っていても、
時代や演者によって当然ながら解釈や表現が異なって、
そこに発見や深みが生じる)。
伝統芸能が積み重ねてきた安定感と、型があるゆえに、
かえって思いきって追及できる革新性/実験性というか」
ううむ、さすがである。
一流の書き手は、一流の読み手でもあった。
私などは、ハーレクイン漫画ってワンパターンだわ、
という誰でも言えるていどのことしか思いつかない。
だが、しをん先生はもう一歩踏み込み、
伝統芸能に通じる、物語としての「型」を見抜いている。
私も心を入れ替えて、またハーレクイン漫画を読んでみようかな。
ははは。単純。
まあいい。学ぶには素直さが大事だしな。
ほかにも第四章では、少女漫画のヒーローについて
重要な指摘がありました。
イケメンばかり、ということについてなのですが、
「彼らの内面のうつくしさ、優しさを手っ取り早く視覚化するための、
とりあえずの『お面』なのだ、と。
少女漫画をじっくり読めば、むしろヒーローの性格、
ヒロインや友だちに対してどう接するひとなのかに、
重きを置いて描かれているのは自明である」
これもさすが、である。
ちなみに、もともとのテーマは、かの有名な「ハイロー」についてです。
わたしは「ハイロー」については無知なもんでして。
なんだか、まじめ(?)な部分ばかりを取り上げてしまいましたが、
あとがきにもあるように全体としては
「読まなくても、人生において驚くほど支障が生じない」
エッセイでございます。
確かに、三章でもある友人との会話について、
それを聞いていた、また別の友人が
「これまでの人生で聞いたなかで、
一番実のない会話してる二人だよ!」と爆笑されておりました。
いや、素晴らしいな。
そんなにはっきりと「実がない」と認識されることなんて、
人生においてそうはないよ。
そんな瞬間に立ち会ってみたい。
ある意味、貴重ですよ。