ツイッター、じゃなかったXで定期的に盛り上がる話題のひとつに

「少年の日の思い出」があります。

中学の教科書にも載っているアレです。

 

つい最近もネタにされているのを見たので、

(と言っても、そもそも何の話題がきっかけだったか忘れた)

甥の中学時代の教科書を借りて、ひっさしぶり~に読み返してみました。

 

そういえばこのお話は、

ある男性の家にやって来た客が、自分の思い出話をする、

という形式でしたね。

 

はじめの数ページはその家の男のひとの一人称で語られる。

そのあと、「友人は、その間に次のように語った」とあり、

友人の一人称による思い出話になる。

 

超有名なお話なので、今さら説明するのもアレですが。

蝶の採集に夢中だった「僕」は

なんだかんだでお隣の少年エーミールがつかまえた蝶を盗んでしまう。

 

すぐに後悔し、母にうながされたのもあり謝りにいくのだが、

エーミールは冷淡にこう言った。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」

 

このせりふはあまりにも有名で、よくネタにされている。

 

その後、「僕」は蝶の採集をやめてしまい、

この時のことは大人になった今でもまだ、

とげのように刺さったままなのだ。

 

なんともしんみりするお話ではある。

 

で、今回、ん十年ぶりに読み返して気づいたのだが、

これは「僕」の語りで終わっており、

聞き手である、家の主人「私」は最後は出てこない。

 

ふつうは、苦い思い出を告白した「僕」へ何か感想を言うとか、

直接は言わなくても、何か思うところはあったりすると思う。

つまりまあ、作品としては

最初に出てきた語り手がどこかへ行っちゃったのだ。

 

これはもちろん作者が忘れちゃった~てなことではなく、

わざとなのだろう。

 

ふむふむ。今回はそのあたりのことを書こうかしら~

と思いつつ、教科書をめくっていたら…

 

本文のあとの学習?みたいなページに

「『私』は、なぜ最後に再び登場しないのか」

について考えよう、といったようなことが書いてありました。

 

……ちゅ、中学生レベルかよ、俺の考えることは。

ははは、こりゃまいったね。

 

だが、まあいい。

我ながら立ち直りは早いほうだと思う。

 

問いかけのレベルは中坊でも、

その問いに対する答えは大人かもしれんぞ! 知らんけど。

 

最後に「私」が出てこないのは、

作者が読者に対し、直接話しかけているというか、

問いかけているのだと思う。

 

ここで「私」が説明とか、解説っぽいことは言わないほうがいいのだ。

読み手の感覚とか、解釈にまかせるわけだ。

 

「僕」のしたことは確かに間違っていた。

エーミールはイヤな奴のようだが、

だからといって彼のものを盗んでいいはずはない。

 

エーミールの軽蔑するような態度に、

「僕」の自尊心は大きく傷ついた。

怒鳴ったり、怒ったりしてくれたほうがまだ楽だったろう。

 

だが、「僕」にはそんな選択権はない。

エーミールのほうが被害者なのだから。

 

そしてきっと、エーミールのほうはこのことはもう忘れているだろう。

何かの拍子に思い出しても、

「そんなこともあったなあ」ぐらいかもしれない。

 

だが、「僕」のほうは大人になっても忘れず、

このことがきっかけで蝶の採集もやめてしまった。

そして今回、家の主人に「話すのも恥ずかしいことだが」

と言って語り始める。

 

過去のことは変えられないけれど、

話すことによって何か浄化するというか、

自分のなかで一区切りつく、というようなことはあるのだろう。

 

もし私が中学生だったら、

「浄化」なんて言われても

(言っているのは今の私だが)納得しなかったかもしれない。

 

「盗んだのはやっぱり悪いことだよ。思い出を美化とか正当化してない?」

という正義感から考えが動かなかった可能性はある。

 

大人になると、そういう考えからもう一歩踏み込めるようになる、

と思う。

過ちを犯したことは事実だが、

開き直りとはまた別の意味で、それを受け止めて生きていく――

と書くのは簡単だが、行うは難し。

 

 

あと、もうひとつ気づいたこと。

物語の筋そのものは、「僕」が直接読者に対し

昔ばなしをする、という設定でも成立するのに、

わざわざ始めに「私」という聞き役が作られている理由は?

 

これは「思い出ばなし」を強調するため、なのかなあ。

子どもの出来心のようなものでも

大人になっても忘れられない、

「話すのも恥ずかしいこと」として今でも鮮明に覚えている、

ということを表すため、か?

 

ん~、こうやって考えてみると、

この作品は果たして子ども向けなのか?

 

物語そのものはシンプルだけど、

内包するものは甘くないどころか、苦味すらある。

 

凝った設定や、はっきりしない終わりかたなど、

大人になって読むほうが考えることも多く、味わい深い。

 

いやでも、中学時代に習わなければ、

こうして再読することもなかったかもしれない。

 

いい読書体験だった。