10月22日(日)の読売新聞の書評欄で、

芥川賞作家の市川沙央さんが、私を作った書物たちというコーナーで

「モンテ・クリスト伯」をあげておられました。

 

おお、我が最愛の小説を取り上げてくださるとは…!

 

市川先生は好きなシーンベスト3を述べたあと、

「どのシーンがお好きですか。よければSNSで教えてください」

と書かれていたのですが、

いろいろ考えているうちに一週間たってしまいました。

 

ははは。のろまですんません。

というか、SNSって見るのは楽しいけど、

自分でするのは苦手なんですよね、なぜか。

考えてるうちにタイミングを逃すというか…。

 

だから、普段も「ブログを更新しました」ぐらいしか書き込まない。

ならばもう、ブログで書いちゃえばいいじゃーん!

 

ということで。

「モンテ・クリスト伯」の好きなシーン語りだ!(順位なし)

 

あ、その前にざっくりあらすじ紹介。

一人の男の壮絶な復讐劇でございます。

ざっくりすぎ。

 

まずは35章 「撲殺の刑」

主人公、モンテ・クリスト伯と、ある二人の若者がローマの謝肉祭で

公開処刑を見ることになります。

 

驚くのは、処刑が祭りの始まりの合図のようになっていること。

確かに、他人の死を安全なところから見る、

というのは最も「生きている」ことを実感するものなのだろう。

 

そしてその実感や興奮を祭りによって解放する。

残酷といえば残酷だけど、よくできてるなあ。

 

といっても、「処刑→祭り」はデュマ先生の創作なのか、

事実なのかは不明なのですが。

 

そして、この処刑が始まる直前、

モンテ・クリスト伯と一緒に見ていた若者二人はさすがにちょっとびびります。

それを見た伯爵の様子がすごい。

 

  伯爵はカラカラと笑った。だがその恐ろしい笑い声を聞いていると、

  こんなに笑ってのけられるようになるまでに、彼がどれほど恐ろし

  い苦痛を経験したかということが察せられた。(3巻P35)

 

この苦痛は、読者なら全員わかっている。

だが、若者たちは知らないし、当然これから復讐に巻き込まれていく

ということもまだ知らない。

 

ここから本格的な復讐が始まっていくのだ、という

恐さとワクワクが感じられる。

 

そして、伯爵がいかにもただ者ではない感じも大変よい。

 

続いて70章 舞踏会

 

伯爵はパリの社交界ではすっかり有名人になります。

そして、とある舞踏会に招待されるのですが、

そのときの登場シーンが、これまたかっちょいい。

 

  伯爵は、わざととりつくろっているためと言おうか、それとも

  自然と身にそなわる威厳によるものと言おうか、顔を出すいた

  るところで人々の注意をひいていた。(略。このあと、服装や

  外見についての細かい説明)

 

  彼ほどのりっぱな男が、ほかにいなかったわけではなかった。

  だが、こうした言いまわしがゆるされるならば、彼ほど意味深長

  な男はほかにいなかった。(5巻P105~106)

 

く~!かーっこいいな、伯爵!! 

 

特に何もしなくても目立つって、最高じゃん。

友だちのオーディションについていったら、

自分のほうが受かった、みたいな? 違うか。

 

伯爵のカリスマ性が際立つシーンだ。

 

あとはやっぱり市川先生もあげていたが、エデの登場シーンいろいろ。

エデ可愛いよねー。

 

説明しますと、もとギリシャ王女なのだが、いろいろあって落ちぶれて、

その後はモンテ・クリスト伯の女奴隷になった女の子。

 

表向きは若い愛人のような扱いなんだけど、

実際は伯爵は保護者のような立場です。

 

エデは命の恩人である伯爵にいつでもラブラブコール。

でも伯爵は年も離れているし、あくまで大人の態度を崩さない。

伯爵、倫理観あります。

そもそも復讐のために引き取ったのだし。

 

この設定、一言でいうと、「萌え」です。

 

奴隷になったもとお姫様と、大人の伯爵。

この年の差カップルに萌えず、なんに萌えろというのだ。

 

でも、メディア化されたときって、このエデは省略されがち。

 

出番はそれほど多くはないし、時間やキャスティングの都合もあるのだろう。

伯爵のもと恋人のほうがヒロイン扱いになることが多い。

 

でも、このもと恋人のメルセデスって、萌え要素がないのよね。

ほかの人と結婚してしまうし、受け身っぽいというか。

悲恋のヒロインになるにはいまひとつ、弱い。

 

エデのように積極的でピュアなラブラブ攻撃のほうが面白い。

クールなカリスマ伯爵をもっと困らせて!

 

萌えとはそういうものだ。(ほんとかよ)

 

メディア化する際は、この19世紀から描かれてきた「萌え」を

もっと大事にしてほしい。

 

萌えは国も時代も超えるのだ。

それはこのエデが証明している。

 

なんだか、古典文学に対し軽いノリの文章になってしまいましたが、

この作品が今でも読まれ続けている理由は

「とにかくめちゃくちゃ面白い」ということだと思う。

 

仲間と一緒に好きなシーンやキャラについて

あれこれ語り合うのが一番楽しいという、

現代の人気まんがやドラマみたいな感覚。

 

デュマ先生は、普遍的な面白さや萌えのツボがわかっていた。

すごいことではないか。

 

 

ほかにも好きなシーンはたくさんあるので、

またそのうち書こうかな。