まんが家のカレー沢薫先生が、ご自身の発達障害について書かれたエッセイまんが、

略して「なおまし」(ほんとにツイッターとかでそう言ってるのです。読者が)

第2巻でございます。

 

相変わらずのキレッキレのギャグを交えながら、

日常の困りごとと、その対処法について説明してくれています。

 

例えば、人と話していて思いついたことをすぐ言ってしまい、

相手にいやな思いをさせるとか。

 

これはカレー沢先生によると

「自分では意味がわかっているから

『他人はそれを突然言われてもわけがわからない』

ということがわからない」

そうな。

 

ううむ。こういったことは誰にでも多少はあるとは思うが、

よくあったら本人もまわりも困るわなあ。

 

で、カレー沢先生はどうしたかというと、

「コムズ」という発達障害の人々のリハビリテーションでの

学びから、

「失敗しない会話パターン」を作って、

それを無表情に繰り返していく訓練をすることにしたそうな。

 

ま、細かいことは本を読んでくださいな。

それにしても、「無表情に繰り返す」なんて言葉が

さらりと出てくるあたり、やっぱカレー沢先生、おもしれー女。

(こんなこと女の私に言われてもうれしくはないでしょうが)

 

と、まあギャグを入れ込みながら順調に(?)お話は続きます。

しかし後半で「理解のある彼くん」問題があると述べる。

 

それは何ぞや?

生きづらさを描いたエッセイまんがなどに出てくるのだが、

いろいろな問題を抱えた作者をすべて受け入れてくれるパートナーのことだ。

カレー沢先生には夫という理解者がいる。

 

読者のなかにはそういう存在を嫌い、

作品そのものを否定したりする人もいる。

 

カレー沢先生はパートナーがいて助かっている部分も多いことは認め、

読者に対し、「キレないでくれ」と願う。

「知らない人に突然怒られるの普通に凹む」と。

そりゃそうですよね。

 

まあ、あまりお気になさらずに。

嫉妬ですから。それは。

 

なんてはっきり言うと、身も蓋もないが。

 

でもはっきり言っておいたほうがいいと思う。

嫉妬される側も、うすうすそう思っていても

さすがに「嫉妬してるんでしょ~」とは言えない。

それなら第三者が言っておいたほうがいい。

はい、嫉妬ですよ。

 

理解者がいるなら、生きづらくなんかねーだろ、甘えんじゃねえよ、

という独り者の叫びだ。

ははは。ちょっとわかる。

 

で、ありがちな考えとして

発達障害の人にはコミュ症が多いというが、

恋愛して結婚してるならコミュ症じゃねーだろ、という理屈。

 

ん~、確かに。他人と付き合えてるじゃん、と私も思っていました。

これについてもカレー沢先生は明確に説明しています。

 

発達障害は得意不得意の差が激しい。

相手や状況によってコミュニケーションができたりできなかったりするという。

 

そうなると、「恋愛」という場で

うまくコミュニケーションがとれる人もいて、

モテたりもする。

結婚してみてはじめて問題が発生することもあるという。

 

ああ、なるほどなあ。

 

「発達障害→コミュ症→友だちも恋人もいない、いるわけない」

などと簡単な図式は作れないのだ。

このことはきちんと認識しておいたほうがいいな。

 

この図式があるから、

生きづらさまんがに「理解のある彼くん」が出たら、

「図式と違う!」と怒るのだ。

その図式そのものが間違っているのだが、そこには気づかない。

 

なんだか、読者の心得みたいな感想になってしまいましたが、

こういう病気実録もの(発達障害は病気とは違うが)を読むと、

自分がなんとなく思っていたことが、

偏見とか思い込みに満ちたものだったと気づく。

 

う~ん、やっぱり「理解のある彼くん」は大事だよ。

 

それは作者にとって必要であるというだけではなく、

読者(一部の、だが)がなぜむかつくか、

それは嫉妬だけなのか、根底には何かほかにあるのか、

偏見とか思い込みがあるのではないか、

ということを気づかせてくれる存在だから。