書こう書こうと思って下書きはしていたのですが
なんやかんやと日にちが経ってしまいました。

天気も、すごい気持ちのいい日もあり
荒れた日もあり、どんよりな日もあり。
天気によって気持ちも左右されるのか
気持ちによって天気に惑わされるのか?
どっちが先でもあとでも、ふらふらしてしまうのは
変わりないので、それに合わせるしかないですね。



そういえば、この前の「イ○てQ」で
みやぞんさんが言っていた言葉が
話題になっているようですね。
「自分の機嫌は自分で取って。人に取ってもらおうとしない。」
これね。
ほんとそう。
常々こうありたいと思いつつ出来てない事。
自分のしている事で機嫌が悪くなった時
こうするのは当たり前としても
人がした何かで機嫌が湧くなってしまった時
その人にどうにかしてもらおうなんて思っても
思い通りに動いてなんかくれないのだから
自分の中で切り替えて自分の機嫌を取れたら
最強なんですけどねぇ。。。

どんな状況だって、どんな環境だって
自分さえ幸せだと思っていられれば
はたから見たら大変そうな状況でも
自分さえそれを楽しめる思考を持てたら
生きていくのもっと楽になるのにねぇ。
それがわからないから、子どもにも伝えられない。
子どもがしんどそうな時
もっと追いつめるような事を言っている。
その自覚はあるのだけど
じゃあ代わりに何を言えばいいんだろう?
ってわからなくていつも結局同じ。。。



こういう時、自己啓発なんちゃらとか
新興宗教なんちゃらとか
そっちへ救いを求める事はどうしても嫌で。
別に他人がそちらへ行くことは否定しない。
無理矢理勧誘とかしないで
その本人や家族がそれで幸せなら良い
ただ、自分はしなくないのです。
それは多分、自分の親がそういう系統の事をしてて
でも結局はどうだったのかな?って疑問があるから。

親は自営業で、人も使ってて
私の想像出来る以上の気苦労があって
もう自分たちだけでは無理だ!
って思ったから、そういう物に救いを求めたり
心の支えを求めたんだろうと今なら少しわかります。

でも、私は幼いながらも
なぜ祈らないといけないのだろう?
祈ってるこの対象はなんなんだろう?
なぜお金を持っていかないといけないのだろう?
なぜお守りを持たないといけないのだろう?
と疑問に思っていた。
しかし、小さいころの私には反抗する理由もなく。
言われたようにしていた。
楽しかった出来事もあったように思う。
そこで知り合えた良い人もいたと思う。
あの時、好きだった人もいた(慕う感情として)
今は全く繋がりはないのですけれど。。。

中学生くらいには、だいぶ別行動するようになったのですが
親がしていた事は、時として変わって行くので
色々連れまわされた記憶がある。
嫌で嫌で仕方がなかった…という訳でもないが
やっぱり成長すると自我も出てきて
自分のやりたい事と違うなぁ、行きたくないなぁ
と思って行かない事もありました。
それは、あまり無理強いしないでくれたから良かったな。


でもやはり、この経験は今の私の思考回路を
形成するのに影響は及ぼしているのかなとは思います。
だって、あんなに色々やったって母は亡くなった。
そりゃあ、耐えられない様な事が起きたから
自己啓発したって、神を崇めたって
ダメなときはダメなんでしょうけども。
だったら、どうせダメなら自分でなんとかしたい。
それでダメだったとしても何かのせいにしたくない。
あれやったのに、これやったのにって言いたくない。
何かや誰かに頼る事も大事だし、時には必要なのはわかります。
頼らない事で誰かに迷惑かけることもあるかもしれないけど
それでも、そういうあやふやな物に頼りたくないのです。
そういってる自分が一番あやふやな物なのかもしれないけれど。。。

だけど、やっぱり自分だけでどうにかするって
難しいのでしょうか。。。
人と関わり合う世界にいる限り無理なのかしら?
自然の中で一人で生活でもしない限り。
それはそれで不自然な状況かもしれないですが。



まぁ、揺るがない心も持てたとしても
それはそれで「頑固だ」とか言われるんでしょうか。
いや、言われた所で心が揺れなければいいのかな?
それで離れていく人がいるならばそれでいい。
こんなんでも離れずに居てくれる人が一人でもいれば。。。