松王丸はどのような人物なのだろうか。

松王丸の親、白太夫は菅原道真に仕えていた。

松王丸たち三つ子が生まれた時、主人の菅丞相つまり菅原道真が自分の愛樹である梅、松、桜にちなんで梅王丸、松王丸、桜丸と名をつけたのであった。

そして3人が成長した時には、白太夫の願いで道真がそれぞれの出仕する先を斡旋している。

そして、長男・梅王丸は道真、次男・松王丸は藤原時平、三男・桜丸は斎世親王の舎人(とねり)となったのであった。

 

ちなみに舎人(とねり)というのは貴族が乗る牛車の牛を操る仕事。それほど高い身分ではないものの、いつも貴族の側にいることとなるので、それなりの教養は身に着けていないなれない仕事である。

 

松王丸にとって、菅丞相は父の主人であり、名付け親であり、就職のお世話までしてくれた大変に恩のある方なのである。

 

さて、松王丸は左大臣であった藤原時平に仕えたのであるが、権力を握ろうとする藤原時平は右大臣・菅原道真と敵対することとなる。そのため、肉親である親・白太夫、兄・梅王丸、弟・桜丸とは絶縁状態である。

そんな中で、藤原時平が天皇をも陥れて自分が帝になろうとしていること、そして、そのために道真に無実の罪をきせて流罪とさせたこと、道真一族を滅ぼすために道真の妻である御台所を追っていることを松王丸は知った。

 

松王丸は何とか道真とその家族を助けたい。しかし、時平が主人である以上、その主人の意向に反することはできない。そこで、病気を装って時平に退職させてもらいたいと願い出た。

その松王丸の気持ちを知ってなのか、卑劣な時平は松王丸に「道真の子・菅秀才を殺し、その首を確認してきたら辞めても良い」と首を確認する役目を与えるのである。

 

親兄弟から縁切りされ、世間からも白い目でみられている。道真の御恩に報いたいのだという自分の本当の気持ちを誰もわかってくれない。

 

しかし、たった一人、道真だけはその気持ちをわかってくれていた。

流罪になった際に菅原道真が詠んだ短歌の「梅は飛び桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」には、”どうして松王丸がつれない(薄情)ことがあろうか。そんなことがあるはずはない”という意味が込められている。

松王丸は”道真は自分のことを裏切り者とは思っていない、それどころか、自分を信じてくれているのだ”と感激したことだろう。

 

そして、最愛の子・小太郎を菅秀才の身替りにするという決断をする。

 

道真の恩に報いるため自分を犠牲にするのであれば、松王丸は苦悩することなく喜んで命を捧げたであろう。しかし、菅秀才を助けるためには犠牲は子供でなくてはならなかった。これがこの寺子屋という幕の悲劇の核心がある。

松王丸は孤独であった。

菅秀才を助けるまでは自分の本当の想いを誰にも打ち明けることができない。

小太郎が身替りになった後、ようやく自分の思いを理解してくれる同士として源蔵だけに全てを打ち明けることができた。しかし、同時に小太郎を失った大きな喪失感が去来したことだろう。

 

松王丸というのは、要領よく世間を立ち回ることのできない不器用な、しかし、人一倍に義理堅い男なのである。