奥会津・檜枝岐村の歌舞伎舞台
福島県は奥会津・檜枝岐(ひのえまたむら)。人口は約600人。日本一人口密度が低い村とも言われる。この檜枝岐村は日光や那須から会津若松への入り口である南会津の中でも主要街道から外れている。2,000mを超える会津駒ケ岳や燧ケ岳の麓の集落だ。今では尾瀬の北の玄関口として利用される村であるが、平家の落人が住み着いたという伝承があるように、もともとは山間の静かな村だった。この地で江戸時代から270年以上続けられているのが歌舞伎である。江戸時代、村人たちにとっての最高の娯楽が歌舞伎だったのだろう。農民である自分達が衣装をまとい武士や姫を演じる。観客は拍手喝采。これ以上の喜びはほかになかったのではないか。事務局が訪れたのはGW真っ只中の5月5日である。GWの真っ只中であるが村内はひっそりとしていた。南会津町から山間の道を通り、川沿いに通っている村の主要道を車で走っていくと、檜枝岐歌舞伎の幟が立ち並ぶ一角が現れる。来週、5月12日に春の公演があるということで幟が立っているのである。しかし、肝心の舞台がどこにあるかわからず通り過ぎてしまう。Uターンをしてゆっくりと車を走らせると、神社の境内らしい場所を発見する。しかし、案内板もない、駐車場所もない。ちょうどお昼時であったので近くの蕎麦屋に入店し、食事後、車を置かせてもらって見学することにする。蕎麦屋「まる屋」。店内の座敷に入ると歌舞伎の写真が掲げられている。奥州安達ケ原三段目「袖萩祭文」である。歌舞伎に造詣の深いNHK元アナウンサーの葛西さんの色紙も飾ってある。さすが歌舞伎の村だ。さて、まる屋は裁ちそば発祥の店とのことで裁ちそばを注文する。定食には山菜の天ぷら付きのミニ天丼が付いている。十割そばの風味と独特の細い麺。決して豪華な料理ではない。しかし、素朴ではありがながら、この地にあった御馳走である。おなかを満たし、お目当ての舞台へと向かう。国道沿いにふっと現れる参道。幅2mもないぐらいである。ちょうど歌舞伎の幟が参道の左右に掲げられているからわかるものの、普段は何気なく通り過ぎてしまうような場所。逆に言えば、それほど当たり前のように風景に溶け込んでいるとも言えるかもしれない。左右に旅館などの建物があり、本当に路地裏のような趣。石畳は整備されており、両脇に立てられた歌舞伎幟がそのひっそりとした道に情緒を醸し出している。参道入口から10m程度歩くと左手に奥州安達ケ原三段目の袖萩とお君の像が立っている。気良歌舞伎復活後、2回演じた演目である。降り積もる白い雪に親子の情愛が際立つ名シーン。しかし、地芝居の舞台で固定の演目の像があるのは初めて見た。その像の向かい側には歌舞伎伝承館「千葉之家」が建っている。新しい建物で歌舞伎の展示があるようである。帰りによってみることとする。そして神社境内の手前に手水鉢。手を洗い、口をすすぐ。境内に入ると真正面に石段の上に鎮守神社が見える。鎮守神社から見下ろす場所、つまり今歩いてきた参道脇に建てられいるのが檜枝岐村の舞台であった。茅葺の屋根の舞台に花道がついている。花道には屋根もついており、出口は裏に回れるようになっていた。面白い造りだ。舞台自体はかなり小さいものである。3月に訪れた小豆島の農村舞台よりも二回りぐらい小さい。ふと疑問に思う。「このスペースでどうやって歌舞伎を演じるのだろう?」いや、これぐらいでも演じれるものなのだ。歌舞伎というものは。舞台側から客席側を見る。面積としては狭い感じがするが、扇状に広がる境内に石段が組まれていて、もはや小劇場のホールのようである。しかも神社らしく背後には杉の大木が伸びていて昼間でもしんとした聖なる劇場の雰囲気である。なんと人口600人の村に、観客席数は1200人!県外からも観客が押し寄せる。鎮守神社に参拝して、帰りに「千葉之家」に立ち寄る。檜枝岐村歌舞伎を演じ、伝承しているのが「千葉之家花駒座」である。そして、この村で歌舞伎の伝承を目的として参道脇に建てられたのが「千葉之家」という施設。館長さんと少しお話をした。館長「よその人に言ってもわからないかもしれないが、奥会津は天領でねぇ」館長「かつては何十とあった歌舞伎舞台で、今、私が知っているので残っているのは4つだけ。しかも芝居を今でもやっているのは、檜枝岐村だけになってしまった」館長「「過疎でねぇ。とにかく歌舞伎を伝えていくこと。子供達のうち、ひとりでもいいから”いいな””小さいころやったな”と思ってくれて、次に伝えてくれれば」私「袖萩祭文(奥州安達ケ原三段目)はよくやるんですか?」と尋ねる。館長「やっぱりね、(袖萩祭文は)人気があってね。ここでは十八番というぐらい。昔、国立劇場でもやったんだけど、私が貞任をやったんだけどね。その時には檜枝岐の舞台を再現してもらったような舞台でね」ちょっとレベルが違いすぎてついていけない感はあるが、熱意というよりも人生そのものを語る館長の姿に圧倒される。館長「舞台に立って50年。もう、俺は役者はダメだ」という言葉から、”まだまだやりたいんだ”という気持ちが零れ落ちているような気がした。館長「ぜひ歌舞伎を見に来てよ。5月はまだ寒いから、8月がいいよ」そう仰ってくださった。檜枝岐村からの帰路、南会津町の大桃の舞台にも立ち寄る。こちらも檜枝岐の舞台と同じような造りであるが花道は常設ではないようであった。さて、檜枝岐歌舞伎に話を戻す。参道脇に2017年の檜枝岐歌舞伎の公演日程が掲げられていた。5月12日「寿式三番叟」「奥州安達ケ原 文治館の段」8月18日「一之谷嫩軍記 須磨浦の段」9月第一土曜日「絵本太功記 本能寺の段」地芝居でおなじみなのは「奥州安達ケ原三段目 袖萩祭文」、「一之谷嫩軍記 熊谷陣屋」、「絵本太功記十段目 尼崎閑居」であるが、今年の演目はそれぞれの前段であるのが面白い。奥会津・檜枝岐。地域の人たちの情熱によって地芝居が続けられている。