僕の幼少期を振り返ると、とにかくよく泣く子供だったことを覚えています。兄弟や友達にからかわれたり、自分の思い通りにいかないことがあると、すぐに泣いていました。そんな僕が変わるきっかけとなったのが「相撲」でした。


ある日、近所の子供たちと取っ組み合いをしたとき、たまたま勝てたんです。その瞬間、自分は他の子よりも力が強いのではないか、と感じました。それからというもの、泣いてばかりだった僕は自信を持ち始め、何事にも怯まない性格になっていきました。「自分は特別だ」と思い込み、周囲に負けたくないという意識が強まっていったのです。


成長するにつれて、スポーツが僕の中心になりました。特にサッカーが大好きで、毎日ボールを追いかけていました。運動神経はよかったので、小学校から中学校、高校と、どのチームでも活躍できました。高校に入学してからも、1年生でレギュラーに抜擢され、自分の力を思いきり発揮していました。周囲の評価も高く、「やっぱり自分は他の人とは違う」とさらに自信を深めていきました。
しかし、僕の性格にはある欠点がありました。それは「我慢ができない」ということです。


高校2年になった頃、部活の顧問と意見が合わず、言い合いがエスカレートしてしまいました。顧問の指導方針に納得がいかない僕は、彼の言葉を聞き入れるどころか、真っ向から反論しました。そしてとうとう部活を辞めてしまったのです。


それでもサッカーが好きな気持ちは変わらず、友人の誘いで再び部活に戻りました。しかし、当然顧問から嫌われいる私はレギュラーにはなれませんでした。ユニフォームももらえず、自分より下手だと思っていた仲間たちが試合に出ているのを見て、どうしても納得がいきませんでした。


その時の僕は、ただ不満を抱え、自分を正当化することしかできませんでした。「顧問が悪い」「自分はもっと評価されるべきだ」と、環境や周囲に責任を押し付けていました。振り返ってみれば、これは僕自身の未熟さの表れだったのだと思います。


高校時代の僕は、自分の意見があることを誇りに思っていました。それ自体は悪いことではありません。ただ、その意見を押し通すことばかり考えていて、他人の考えを受け入れる余裕が全くありませんでした。今だからこそ思いますが、世の中には本当にいろいろな考え方や価値観を持つ人がいます。それを理解し、共存していくためには「我慢」が必要です。そしてその我慢は、ただ耐えるだけではなく、相手を尊重し、自分を成長させる力にもなり得るのです。


あの時、顧問や仲間たちの言葉に耳を傾けていれば、もっと違う結果があったかもしれません。もしも他人と自分の違いを受け入れることを早く学んでいれば、その後の人生でもっと多くの人と協力し合うことができたかもしれないと思います。


この記事を読んでいる方の中には、過去の僕のように「自分の意見が正しい」と信じて譲れないことがある人もいるかもしれません。けれど、世の中は自分ひとりで完結するものではありません。共存するためには、時に我慢し、他人の意見を受け入れることが大切です。それが、より良い人間関係を築き、成長するための第一歩になるのではないでしょうか。


終わり!!


この物語はフィクションかも。。


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